遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

わが天才棋士・井山裕太/石井邦生

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わが天才棋士井山裕太   石井 邦生 (集英社) 

私は囲碁はほとんど理解できていない人間だが、よく囲碁の対局番組をみる。ニコ動の中継もよく見る。井山裕太がタイトルをとり防衛を何回か重ねてきた、ここ1年ほどのことである。

本書「わが天才棋士井山裕太」は、井山の師匠石井邦生が記した弟子の成長の記録である。

囲碁棋士井山裕太5冠(名人・本因坊棋聖天元碁聖の5大タイトル保持者)は、6歳の時にテレビのミニ碁対局に出場し、その番組の解説をしていた石井とはじめて出会う。番組担当者から6歳でアマ3段の少年が対局しますよと告げられた石井は、6歳で3段は何かの間違いだろうと思ったという。しかし井山少年は、5人抜きを達成し石井を驚かせた。

小学生になった井山は、石井の弟子になる。宝塚在住の石井は、東大阪に住む井山とインターネットで対局を重ね、小学2年生で井山は少年少女囲碁全国大会で小学生チャンピオンになる。決勝相手となった万波奈穂は、私も知る現役の女流棋士である。

第18回少年少女囲碁全国大会決勝 井山裕太(小2) vs 万波奈穂(小6)

翌年も3年生でチャンピオンになった井山は、小学5年生で初めての挫折、プロ入り(入段)を失敗している。ワンワン泣いて悔しがったようだが、次の年は46
連勝を含む71勝8敗と言う成績で入段を果たす。

師匠の石井は、まだ電話回線でネットに繋げていた時代に、週2回4局の対戦をずっと続けたという。井山によるとそれは1000局に達しているという。5歳にしてテレビゲームで囲碁を覚え、祖父に鍛えられ、平成生まれの初めての中学生プロ棋士の誕生だった。年齢差48歳の師匠石井は、井山の指導碁で自分も強さを維持できたという。

プロ入り後も順調に昇段し続け、名人戦の挑戦者になったのが19歳のとき。序盤に連勝しリードしていたその名人戦対局(VS張栩名人)は、3勝3敗のタイに追いつかれて、7戦目を惜しいところで負けて、名人にはなれなかった。井山は、この敗戦が二度目の大きな挫折だったという。

本書はここまでの記録であり、師匠の石井は、井山は将来きっと大きなタイトルを取れる名棋士になれると確信している。
師匠の予言通り、翌年また名人戦の挑戦者になった井山は、史上最年少の名人になっている。小5でプロになれなかった一戦や、19歳で名人になれなかった一戦で挫折しても、それをバネに飛躍することができることが素晴らしい。天才は努力ができる才能が備わっている。

中学を卒業してためらうことなく高校へ進学しなかったのは、小学生のころからの囲碁の道を究めると自覚したときからだと思われる。そんな少年のじゃまをしないように自由に育てた師匠の大きさにも感動する。本書は、棋譜などの記録が4分の1を占めていて、門外漢の私にはわからないところもあるし、もっともっと井山のスーパー棋士ぶりも載せてほしかったが、それでも井山と石井の信頼し合った師弟関係に心を打たれた。

数日前に、中学3年15歳の井山四段がNHK杯戦に初出場した2005年の放送を囲碁将棋チャンネルで目にした。その対局の解説は師匠の石井であった。天才少年をひと目見ようと全国の囲碁ファンが見たであろうその対局(VS彦坂九段)は井山が勝った。師匠は内心うれしかっただろう。寺社にお詣りして、わが天才棋士井山のことをお祈りする師匠なのだから。