遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

劇団夢の遊眠社「贋作・桜の森の満開の下」

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 野田秀樹主宰の劇団夢の遊眠社をはじめて観たのは、1989年の京都南座公演「贋作・桜の森の満開の下であった。ゼロ歳の長女を妻の実家に預けて、マチネに出かけた。

 遊眠社の切符は、当時すでにプラチナ・チケットであったが、チケット・セゾンに発券に行った際に、カウンターのお姉さんに「この公演よく取れましたネー。どうして?」と感心された。偶然チケット予約電話が繋がったのである。
 南座8ステージ12,750分の2枚であったのだ。

 「贋作・桜の森の満開の下」は、坂口安吾の「桜の森の満開の下」+「夜長姫と耳男」+手塚治虫の「火の鳥鳳凰編」をモチーフにした作品だったそうだ。
 客演が、夜長姫を演じた毬谷友子。この宝塚出身の女優は素晴らしかった。TVで見ている限りは、お嬢様(劇作家矢代静一の娘)なんだけど、舞台では姫のようであり、鬼のようであり、とっても夜長姫であった。
 
 独特なオープニング、毬谷や野田や段田安則をはじめとする劇団員の発声、野田のことば(脚本&演出)の感性、シンプルでセンスのある舞台装置、その装置を活かした出演者の動き、そして感動的なフィナーレ。他の演劇を知らない私には、否、多少他の芝居を知っていた私には、何もかもが斬新であった。

 芝居がはねた南座の前で、関西なまりのない人たちの言葉が耳に入ってきた。どうやら、遊眠社公演を比較的切符が取り易い京都で観るために、東京・関東方面からやって来た客人たちのようであった。「そうだ 京都、行こう」ということだったようだ。

 その後、「ゼンダ城の虜」(1992年夢の遊眠社解散公演)「カノン」(2000年NODA・MAP回公演)を経て、2003年には、89年当時ゼロ歳だった長女と、翌年90年に生まれた次女と、NODA・MAP公演「オイル」を観に行っている。(この3公演は、また後日、章を改める。)

http://www.youtube.com/watch?v=OuCtJMnRjHk