遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

二十歳のころ/東京大学教養学部立花隆ゼミ

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二十歳のころ〈1〉1937‐1958 〈2〉1960‐2001

 立花ゼミ『調べて書く』共同製作

立花 隆 (著), 東京大学教養学部立花隆ゼミ (著)  新潮文庫


佐々木千賀子(著)「立花隆秘書日記」http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/5090474.html

で、この本と出会うことが出来た。


かつて、立花隆が東大で持っていたゼミの学生に与えられた、

誰かにインタビューして、その人の二十歳のころを「調べて書く」という宿題。


インタビューする方はグループになり(中には単独でやった学生も居た)、

レポートを纏め上げるのである。


その宿題だか、卒業制作だかが、書物になったのである。

二十歳のころのインタビューに応えた面々は、総勢70人。
<1>は、1958年以前に20歳になった人たち、
<2>は、それ以降に20歳になった人たちの話しをまとめたものになっている。


インタビューや対談・鼎談で構成されている記事・TV番組が、そもそも大好きな私だから、二十歳のころの、迷える生意気な子羊たちの話は、大変面白かった。

悩んでなんかなくて、はっきり未来を見据えていた人も、勿論居る。
二十歳のころの私は、成人式も出席せずに、悩みも希望も人並みにあったけど、テキトーに本読んで、映画観て、音楽聴いて生きていたおバカな学生だった。
でも、ピーター・ブルックの「真夏の夜の夢」の日生劇場公演や、カール・ベームウィーン・フィル人見記念講堂で演奏したブラームス交響曲1番に、感動していた若者であった。(両方、TVで観たのだけれど)
 
現役東大生の文章のまとめ方も、インタビュー・グループ毎にいろいろ個性があり、面白い読み物であった。

 

【インタビューされた人たち】

秋山仁→ご存知のバンダナ&長髪の数学者。

茨木のり子→先ほど2月19日に亡くなられた、詩人。「戦後現代詩の長女」。

滝本太郎オウム真理教被害対策弁護団の一員

筑紫哲也→ジャーナリスト。滝廉太郎の子孫!

西和彦→当時は、アスキー取締役社長、23歳(79年)で米マイクロソフト極東担当副社長。

日比野克彦→私の大好きなアーティスト、今年はW・Cサッカー番組で司会もやるような。
          
水木しげるゲゲゲの鬼太郎!太平洋戦争で左腕をなくされる。

山田太一→脚本家。

赤川次郎→小説家。

石弘之東京大学大学院総合文化研究科教授(国際環境科学担当)、環境問題の権威。

板倉聖宣→私立板倉研究所所長。理学博士。

今西武大阪大学薬学部(薬化学講座)教授。

大杉正明清泉女子大学教授。NHK「ラジオ英会話」の講師。

小川三夫→宮大工。昭和の名工である奈良の故西岡棟梁の唯一の内弟子

小松氏→一般人、学生の父親。取材後娘は落胆するが、読み手は面白かった!

坂本龍一→作曲家。

妹尾河童→舞台美術家・エッセイスト。

成瀬氏→一般人、元駒場寮委員長。

広中平祐→『代数多様体特異点解消理論』でフィールズ賞を受賞

福島瑞穂→現社民党党首、当時は、東大法学部出身の新進気鋭の弁護士。

山崎章郎→外科医。著書に『病院で死ぬということ』。

鬼沢修二→AV界の重鎮 。

永沢光雄フリーライター。著書に『AV女優』
    
二木てるみ→ 女優。黒澤明の『赤ひげ』で好演し、史上最年少でブルーリボン助演女優賞を受賞。
     
橋爪大三郎東京工業大学教授。

水島涼子→AV女優になったのも、留学資金かせぎが目的だった。

森毅→ 評論家。京都大学名誉教授。

山藤章二イラストレーター。

小川国夫→作家・文学者。

神谷郁代→ピアニスト。

川上哲治→巨人軍V9時代の監督。

黒柳徹子→女優。

ジョージ川口→ジャズドラマー。

曽野綾子→作家。

中松義郎→工学、法学、医学博士。

野田秀樹→劇作家・演出家。東京大学在学中の一九七六年に、劇団夢の遊眠社結成。
    
萩尾望都→漫画家。

松本零士→漫画家。

横尾忠則→画家。

吉村作治早稲田大学教授。エジプトでの発掘活動は、ご存知のとおり。

米長邦雄棋士

飯田圭織安倍なつみモーニング娘。

大江健三郎→作家。

糸井重里→作家。 

鶴見俊輔→作家。

加藤登紀子→歌手。

立花隆→作家。