遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

君が立派な人間になれることは、今日の将棋を見ていて分かったよ

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調べてみたら、スポーツ雑誌「ナンバー Number」の創刊1号は1980年4月だった。当時26歳の私は、山際淳司の「江夏の21球」が掲載されいたその創刊号を買った。

上の画像は、藤井聡太二冠を表紙に擁いた9月3日発売の1010号の「ナンバー」で、メインテーマは「藤井聡太と将棋の天才」。実に、60ページにわたり藤井聡太や将棋をテーマに特集を組んだ。渡辺明3冠の棋聖を失い名人を獲得した短期間の密着ドキュメント&インタビューなど、多くの名棋士が登場し、藤井将棋や自分の将棋を語っていて、素晴らしい読み物になっている。

なかでも、私の大ファンで将棋を覚えたきっかけにもなった中原誠十六世名人(73)のインタビューが嬉しかった。

もう将棋棋士を引退した中原は、いまは囲碁棋譜並べをして余生を過ごしていて、数年前に囲碁の番組でプロの棋士ハンデ戦で勝利している対局を見たことがある。

Abemaなどで藤井の対局を欠かさず見ている私は、「中原誠は藤井将棋を観ているのだろうか、どう感じているのだろう」とよく想像することがあったのだが、このナンバーのインタビューで中原が藤井将棋をネットで見ていると語っていて嬉しくなった。

中原は、趣味の囲碁の勉強をしたり、原稿を書いたり、競馬をしたりしながら、ネットで藤井将棋をワクワクしながら見ているのだそうだ。中原は藤井将棋について、「プロがいつまでも見ていたくなる将棋を指している」と語っている。これ以上の誉め言葉があるだろうか。

中原は、「競馬に例えれば、常に上がり32秒台の末脚で伸びてくるのが藤井さん」とも。競馬の「上がり」とは、レースのゴールまでの最後の3ハロン(600m)のことで、どんな距離でもどんな展開でも上がりで常に32秒台で駆け抜ける馬がいたとしたら、それは馬券システムが成り立たないほどのスーパーホースだ。

藤井二冠は「若くて強いけど整っている」と、中原は重ねて評価している。

また、この特集号で棋士先崎学が書下ろしの「22時の少年。羽生と藤井が交錯した夜」というエッセイを書いていて、非公式対局のデビュー間もない藤井聡太VS羽生善治戦を観ていた「出来事」について書いている。まだ中学生だった藤井が、Abemaの生放送に出演できる22時までの「出来事」を綴った秀作だ。

その時、22時を回った後のAbemaのスタジオで、先崎は藤井の元に行き言った「君が羽生を数字でこせるかはわからないよ、しったこっちゃない。でも君が立派な人間になれることは、今日の将棋を見ていて分かったよ」。

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中原誠十六世名人は、このソファで藤井将棋を見ているのだろうか、幸せそうだなあ。