遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

うつ病九段/先崎学

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うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間  先崎 学 (著)    文藝春秋

2017年の将棋連盟の順位戦(B2組)の勝敗成績をリアルタイムで見ていて、怪訝に思ったことがあった。

先崎学九段(48歳)の成績欄の7月以降に、■印の不戦勝が続いていたからだった。何か大病をしたのか、不祥事でもあったのかと気がかりだった。そして、2018年になって夏に本書「うつ病九段」が出版されて、彼がうつ病だったと知った。

私がルールを覚え将棋に興味を持ったのが1970年代前半で、当時は棋士が将棋を指すのを見る機会は日曜日ごとのNHK杯戦だけだった。

先崎学がプロになったのが17歳(1987年)で、羽生善治に少し遅れてプロになった羽生と同年の天才少年だった。デビュー翌年の88年にはNHK杯でベスト8まで行ったから覚えているのか、米永邦夫の秘蔵っ子弟子だったから目立っていたのか、とにかく印象的な若手棋士であり、数多くの棋士のうち最上位グループに位置する私の好きな棋士であった。

だから、先崎がうつ病だったというのは、彼の人となりを知っていただけにショックな情報だった。

本書は、1年間をうつ病に苦しみ回復していく過程を、先崎自身が思い出し一冊の本に著したものである。

私は自分がうつ気味かなと時々思うところがあったのだが、本書で先崎自身が綴る壮絶なうつ病の自覚症状を読んで、自分は単なるものぐさなのだと恥ずかしくなった。

先崎の兄は精神科医で、うつの症状が顕著になるやいなや兄に慶応病院に入院させられる。自殺を防ぐためである。

「究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ」と、兄はうつがよくなりかけたころの弟に語る。

先崎はそういう優れた医師で弟思いの兄に見守られながら、同時に囲碁棋士である妻や慕ってくる将棋の棋士たちのサポートを受けながら、2018年の4月をターゲットに将棋棋士としての復活にかけるのだった。

私は、先崎はもう将棋界に戻ってこないのではないかと思っていたので、彼が棋士としての復活と病からの再生に全身全霊をささげる数々の場面に目頭が熱くなった。

元気なころから、彼が全国の障がい者施設、老人ホーム、刑務所をまわって将棋の普及を行っていることも本書で知った。

偏見を持ったり思いやりのない人間に対する痛烈な批判や、病気に苦しんだり恵まれない人たちに対する暖かいまなざしも本書に綴られている。いつまで生きられるかわからない十代の子に「来年もまた来てくださいね」と言われるという。彼の人権意識は国民栄誉賞と等しく意味のあることだと思った。

うつ病患者自身の記憶による闘病生活やリハビリの過程が、読者には稀有な体験となる、加えて、将棋のプロ棋士の精神構造もよくわかってくるところも面白い。彼らは、か弱き職業人であり普通人なのだが、間違いなく孤高の天才たちなのである。