遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「藤井聡太のいる時代」に生きていてよかったと思える一冊を読みました

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2016年、日本将棋連盟は将棋ソフト不正使用疑惑騒動で自爆しそうだった。スマホ経由でAIを参照してカンニングしていると、ある棋士が疑われた騒動だった。

当時の私は、疑われた棋士は無実だと思っていた。そんなイカサマをして勝利しても、自分の心の傷を何が癒してくれるのだろうかと思っていた。幼くして天才と呼ばれた棋士たちが、不正によって手に入れた将棋界でのポジションや金銭で、同じく不正によって傷ついた心の傷を癒せるとは思えないので、あれは無実だと思っていた。

時を同じくして藤井聡太が14歳の史上最年少でプロデビューし、その後の活躍で連盟を救った。連盟の救済と隆盛のみならず、藤井は「幸せホルモン」を人の世に広めた救世主のような存在だった。私もその恩恵を受けた一人で、老後に孫のようなどこかの少年に幸せにしてもらえるとは想像だにしなかった。

本書は、今も朝日新聞の日曜日に連載されているコラムがまとめられたもので、私はいつか本になるだろうと思っていたので新聞連載は読んでいなかった。

藤井聡太のいる時代」、いいタイトルだ。過去形「いた時代」でないのが何とも嬉しい。

本書は、多く人物へのインタビューで編まれたような一冊である。彼の師匠やライバル棋士や家族へのインタビューで、藤井の才能と努力の軌跡と愛されるべき人物像が浮かび上がる。

このほど順位戦のA級で最も良い成績をおさめ、4月から始まる名人戦の挑戦者となった斉藤慎太郎八段は、六段当時にまだプロデビュー前で三段だった藤井と一対一の研究会をしていたという。一定期間に15局ほど対局をして斎藤は負け越したと本書のインタビューで答えていた。

それは斎藤にとって驚異だったと思う。藤井聡太が出現して斎藤のみならず多くの棋士は、藤井が追いついてくる前に全速力で逃げている感がある。逃げている棋士たちのアドバンテージは、先にデビューしたという時間的なことだけなので、出来るだけ遠くに行こうとしているようなのである。それが将棋界全体の隆盛につながったと思える。

もし、2016年にソフト不正使用疑惑騒動が起きていなかったら、いまもっともそのことを疑われるのは、デビュー後の勝敗が現時点で211勝40敗の藤井聡太であろう。

「あんなに負けないのはカンニングとか何かイカサマをしているとしか説明できない」と言い出す棋士が出てきても不思議ではない強さなのだ。

これは将棋の本ではない、「藤井聡太のいる時代」に生きていてよかったと思える一冊なのである。