遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

牛を屠る/佐川光晴

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牛を屠る  佐川 光晴  (著)   双葉文庫

1か月前に読了した佐川光晴の「日の出」。

「日の出」は、明治期に戦争忌避のためふるさとを捨てた青年と、彼を取り巻く静謐な人たちを描いた青春群像小説である。
こんな爽やかな清しい小説を書く人物はどんな作家だろうと興味を持ち、彼の過去の著書からノンフィクションの「牛を屠る」を読む。

「屠(ほふ)る」とは、家畜などの命を絶って解体することをいう。佐川は、埼玉の大宮にある屠畜場で、10年半もの長きにわたって正社員として働いた。

佐川は、北大の法学部を卒業して出版社に勤務した後、社長と編集者と喧嘩の末退社する。職安で仕事を探すうち、埼玉の大宮の屠畜場で働き始める。

大宮の屠畜場は、ピーク時には1日に牛150頭、豚500頭をさばく。はじめは豚のしっぽ切りからスタートした佐川は、3カ月の仮採用期間を耐え、正社員として腕を磨いていく。毎日ナイフを研ぎ、牛の解体に真正面から向き合いナイフ使いの腕を上げていく。

そこで働く人たちはそこを屠畜場とは呼ばず、いまや禁忌のことばとなった「屠殺場(とさつば)」という。呼び方がどうのこうのという世界ではなく、そこは、歩いてそこまでやってきた牛や豚を、30人(女性も数人含まれる)ほどの流れ作業で無事に枝肉にしていくだけの純なる仕事場なのである。

解体する牛がなくなるまで一心不乱に働く、「とっとと終わらせて、帰る」という毎日を乱れなく繰り返すことに心血が注がれる職場であった。

佐川は、そこで働き始めた初日に、迫力のある男とそれに付き添ってきた若い男に「ここはお前みたいなやつの来るところじゃねえ!」「明日から来るな」と脅される。佐川は、就活の面接で君の学歴なら総務でデスクワークをしてくれと言われたのだが、解体現場で仕事がしたいと10年間をそこで全うした。

屠畜場の生々しい解体作業そのものの描写、仕事場の仲間との交流、仕事に使う自分用のナイフの道具としての重要性とその扱い方の上達過程の様子などが、スリリングで楽しくて読ませる作品に仕上がっている。

小学校の帰り道、精肉店の前にイノシシが横たわっていて、精肉店の親父さんが独りで慎重にちびりちびりとイノシシの皮をナイフではがしているのをじっと見ていた記憶があるが、佐川のいた現場の団体競技のようなスピーディーさとは正反対であった。

佐川は入社6年目くらいの時、牛の皮を剥ぐ担当になったころ、つまりようやく一人前になったころに、自分の職場をテーマとした小説を書き始めた。その読者として意識したのが、家族や妻の両親だった。自分がなぜどのように屠畜場で働くようになって、その日々がどのように充実しているのかを、言葉にして表現して理解してもらいたかったという。佐川の両親も妻も、妻の両親も、屠畜の仕事に就くことに反対しなかったのだが、彼らの包容力が佐川の創作の原動力になったのかもしれない。

その処女作「生活の設計」は3年ほどかけて書き上げられ、2000年に新潮社の新人賞を受賞した。

本作「牛を屠る」は、当初、解放出版からハードカバーで出版された。正直なところ、私には屠畜やそれに携わる人をとりまくセンシティブでデリケートな状況をどのように処理するのだろうという問題意識もあったが、著者がナイフと肉体を駆使して10年間を仕事一筋に駆け抜けたさまがあっけらかんと爽やかであった。

普通なら、全編を通して悪役になろうかという「お前なんかの来るところじゃねえ」と恫喝した怖い先輩は、その後、佐川の目標となる実に仕事のできる人物になった。佐川は、作家生活に入ってからも、いろんな意味で大きい人物だったその先輩との交流を思い出すと記述している。

仕事は、どんな時代になろうとも、人体を使ったアナログな作業であることを再確認した。また、佐川と彼の周囲の人たちの交流は、青春群像小説「日の出」とオーバーラップする清々としたものであった。