遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

籠池と日大学長と高プロ強行採決

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10か月もの間拘置所で拘束されていた森友学園の籠池夫妻が、今日釈放された。夜の記者会見では、思いのほか二人とも元気だった。私なら10か月は長すぎて釈放された当日にあんな記者会見ができるだろうかと思った。十分な資金もないのに学園を大きくしようとして、安倍や夫人を利用したことは、相当に胡散臭い二人なのだが、大阪地検という権力に人権を蹂躙されたと言ってもいいのではないだろうか。

彼らに差し入れをしたり手紙で励ました人たちがどんなお方なのかよく判らないが、もし人道的な人たちならば、籠池夫妻は心を入れ替えて、教育勅語で幼児教育することなどやめて、世の人のために自分たちが人道的な人間になっていただきたい。その姿を見ることができたら、お見事と言って二人を讃えたい。

彼らの釈放に先立って日大では学長の記者会見が行われた。2時間の記者会見を見たが、いささかのんびりした学長だった。でも、監督に比べたらはるかに正直ベースな記者会見だった。アメフト部を選手たちと再生していく方向性を示唆していたことは、少なくとも具体性のある言葉だったし、渦中の学生を引き留めるために一役買うつもりだという言葉にもウソはないと感じた。誠実さも感じた。

昨今のウソつきばかりの記者会見や答弁を見ていると、こういう普通の人間のことばさえ新鮮に見えてくる。

今日の強行採決のあった衆議院厚生労働委員会などを見ていると、中学生が運営する生徒会以下の醜いもので、例によってこの税金泥棒と言いたくなった。労働者のそのすべてが企業の奴隷になろうかというのに、加藤厚労大臣のあの極楽とんぼぶりを見ていて、なんだか悪寒がしてきた。国民の大半が労働者だというのに、この法案が他人事のように世間で無関心であると同時に冷たく無視されていることにも、悪寒が走る。労働組合は闘っているのか?

日本は、未来を見通したり現状を判断したり過去を反省する能力を失った人間ばかりになったのだろうか。そんな人間は安倍晋三だけでいいものを、悲しいことである。