遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

みみずくは黄昏に飛びたつ /川上未映子・村上 春樹

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みみずくは黄昏に飛びたつ  川上 未映子、村上 春樹 (新潮社)

今回は、芥川賞作家川上未映子(40)が村上春樹(68)にインタビューした「みみずくは黄昏に飛びたつ」のご紹介。本書は、2017年4月に出版された。

インタビューは、全4章に分かれていて、第1章は文芸雑誌のために川上がインタビューを引き受けた時のもの(2015年7月)。彼女にとっては初めてのインタビュー仕事で、しかもその相手が村上春樹だったのだが、「あれ、よかったね。」と後に村上に言われて、その後「騎士団長殺し」が校了になった2016年秋以降に追加で3回のインタビューを敢行。その3回の「語りおろし」が、本書の2章から4章に相当する。

話は少しそれるが、常々私が思っている「トランス状態のようなもの」というのがある。音楽家(例えばピアニスト)がステージで暗譜した曲を演奏する、野球選手がバッターボックスに立ちバッティングをする、棋士囲碁や将棋をプレイする、レーサーがレースで高速運転をする、画家がキャンパスに向かって絵を描くようなときに、彼らの身体は正気を失った一種のトランス状態にあると思っている。その状態に入り込めないと、彼らはああいうとんでもない仕事はできないのではないかと思っている。「集中状態」のもう一歩先を行くような世界に入り込めると、大きな仕事ができるのではないかと思う。スポーツ選手や芸術家の入り込み状態を観察して自分なりにそう分析している。

本書を読んでいたら、村上春樹も似たようなことを語っていた。
川上が「村上さんは、書いている時、自分が今、正気じゃないなってわかります?」と訊くと、
「わかる。でもわかってもどうしようもない。だって頭が発熱して、どこかのヒューズが飛んじゃっているんだもん、そりゃしょうがないですよ。アドレナリンがぐいぐい駆け巡っている。何か月も何年もかけて集中して長編小説を書いてきて、それが出来上がったら、そりゃあもう手がつけられない。とにかく列車が驀進しているような状態だから。」

本書のこの箇所で、すぐれた作家もトランス状態のような境地に入り込んでいるのだと確信した。

熱が冷めたころ合いを見て、書き直しに入るというのだが、「創作や創造」と「作業=手直し」の違いがそこにはあるのだが、その創作と作業の双方が長けているのが優れた小説家なのかもしれない。ことに、創作については、「僕よりうまく小説書ける人というのは、客観的に見てまあ少ないわけですよね、世の中に。」と、自信を持っているというか、それこそ正気を失っているのである。
「こういうのはたぶん僕にしかできないんだという実感があります。「どや、悪いようにはせんかったやろ」と。この実感は何ものにも代え難い(笑)。」とも語る。

村上は締め切りに追われるような創作活動をしない代わりに、長編に取り組めば「毎日10枚は書く」という自分へのノルマは守る強固な意志が持てる。創作活動を時系列にすると以下の通りになる。

【「騎士団長殺し」が出来上がるまでの具体的な創作履歴】
2015年7月「騎士団長殺し」(2000枚)を書き始める。使用ソフト「EGword
2016年5月7日 第一稿を書き上げた。(所要期間10か月。1か月平均200枚)
2016年6月 書き直して第2稿
2016年7月末 第3稿
2016年8月14日 第4稿
2016年9月12日 第5稿
USBを「ほい」と編集者に渡す 「うん。出し抜けに、何の予告もなく。」
初めて紙にプリントされたものを読む
2016年11月15日手を入れ終えて 第6稿
ここからが「ゲラ」初校、二校、三校、念校と4度手を入れ完成。
2017年2月24日「騎士団長殺し」発売

出版社に頼まれて書いてるわけではないので、PC内で書き終えてUSBに取り込むまで、どこの出版社から発売にするかは決めていないという。本当なのかと驚愕するが、出し抜けに何の予告もなく「ほい」とUSBを渡されたら、私がもし編集者なら、僥倖を通り越して失神するかもしれない。

川上はインタビュー前の下準備をきちんとしてきて、小説家として実にいい質問をたくさんするのだが、村上の応えは概しておなじで、無意識で創作しているようだし、そんなこと僕言った?そんなこと書いてる?と自分の作品の内容についても、これまた正気ではないことをおっしゃる。

300ページを優に超すふたりの小説家の対談だけで構成された本書だから、小説を書くことについての作法や実情や実際やエッセンスがギンギンに詰まっている。

プロの小説家は本書は無視して読まない方がいいかもしれないが、ハルキストはもちろんのこと、村上春樹の小説買って読んだけど「わけわからん」という方も、本書を読まれることをお勧めする。村上作品は、何度も楽しめる、スルメのように噛めば噛むほど味わえる善き物語だと、ほかでもない本人が断言していて、私は「ねじまき鳥クロニクル」をいつか読み直そうと思っている。