遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

あの戦争への普遍な思い/村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」

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猫を棄てる  父親について語るとき  村上 春樹 (著)、高妍 (イラスト)


冒頭で、少年村上春樹は父親と一緒に夙川(西宮市)の海岸にネコを棄てに行く。そこから、小説のように父親についてのエッセイが始まっていく。

彼の父親は、京都の西山派の浄土宗の名刹(安養寺)に次男で生まれた。

お寺さんの息子だから、西山派の専門学校を卒業しているし短い修行も積んでいるし当然にお経もできる。京都大学に進学するも、戦争に3回も招集され、兵役に就き中国戦線にいた。戦友たちはほとんどが戦死したにもかかわらず、彼は生きて帰ってきて、戦後は阪神間にある名門中高一貫校(甲陽学院)で教鞭を執ったのだった。

大阪の大店の商家の娘と結婚して生まれた子どもが、春樹だった。幼い春樹が憶えているのは、毎朝欠かさずお経をあげる父親の姿と声だったという。春樹が大学に入学し実家を離れるまで、それは毎朝続いたという。

後年、父と子の軋轢が両者の疎遠の原因をつくった。しかし、戦争で戦友を失い人生を翻弄され傷ついたにも拘らず、静謐に強く生きる父親の半生を、村上春樹は端正に綴っている。

数年前に亡くなった父親は、作家村上春樹の成功を心から喜んでいたと私は思う。春樹が作家になる前に就いた職業が原因で軋轢があったのだが、世界で認められる作家に成長した息子の存在が心底嬉しかったと思う。春樹にしても、報恩の思いがあったと思う。

本書による、あの戦争やその不条理さへの思いの語りについても、もし父親が読んだとしたら大いに満足したことだろうと思う。しかし、村上家という個人的なことを離れても、村上の落ち着いた語り口は、あの戦争への普遍な思いとしてすべての読者の心に染み入るものだった。

私は、この父にしてこの子有りと、何度も感じながらページを繰った。心が澄む良質の戦後ファミリーストーリーだった。 合掌

台湾のイラストレーターによる表紙や挿絵も、ノスタルジーあふれる柔らかいタッチが穏やかなエッセイにふさわしくて印象に残った。