遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

アンダーグラウンド/村上春樹

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アンダーグラウンド   村上 春樹  (講談社文庫) 

地下鉄サリン事件からちょうど20年の今日、2006年に記事にしたものを少し修正して再掲載。

『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』を読んでいたら、「アンダーグラウンド」読みました、感動しましたという人たちが幾人か登場。

私は40歳代半ば1999年頃にこの村上春樹のドキュメンタリー「アンダーグラウンド」と遭遇。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者や、その関係者62名に、村上春樹自身がインタビューをし、それを中心にまとめたのがこの本。事件の約9ヶ月後からはじまったインタビュー取材は、その後1年間続いたという。

愚かしく忌まわしい事件の論評はここでは控えるが、私はこの本で、少し自分が変わったと感じている。

すさまじい混みようの地下鉄に乗って、あの日も被害者たちは職場へ向かっていた。その被害者達が、事件に遭遇したときのことや自身の来し方を村上に淡々と語る。

事件とは直接関係ない部分が、平凡な彼らの来し方に私は心を打たれた、平凡なのに。
生きるために、ふるさとを出て、毎日を平凡に、しかし着実に生きてきた、彼らの生活ぶりを、村上春樹は丁寧に文字で再現する。

被害者でありながら、懸命に他の乗客の救命に奮闘した、最初に登場のうら若き女性の腹の座った行動力に感心した。
井上某という事件の首謀者に近い信者と、京都の高校で同級生だったという被害者のインタビューもある。
2ヶ月前に阪神大震災で関東に逃れてきて、この事件に巻き込まれてしまった人のインタビューもある。

村上のインタビューに応じた被害者たちは、死は免れた。しかし、サリンの科学的後遺症と、事件に遭遇したことからくる精神的後遺症に苦しみながら、事件のその後も淡々と日々の暮らしを維持しようとする。自分は一命はとりとめたのだと、死者に配慮し小さく感謝する。

だれかのために、なにかのために、じぶんのために、でもそんなことは意識せずに、今日もまた、あの早朝の満員電車に揺られている。彼らは、事件を起こした集団とは対極にいる愛すべき平凡な市民であった。

アンダーグラウンド」は、40歳半ばまで、ぼけーっと暮らしてきた馬鹿な私のねじをまいてくれ、少し我慢強い性格を与えてくれた1冊であった。

ずしりと厚みのある「村上春樹の仕事」的書物なのに、春樹さんはインタビュアーに徹していてそれが却ってドラマ的である。私のように隅から隅まででなくても、62人のうちの何人かのインタビューをぜひ読まれたい。