遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

フロリダの銃撃事件と「ゴッド・ファーザー2」

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フロリダのオーランドのLGBT専用クラブの銃撃事件は、最悪の惨事になってしまった。米国は永遠にこんなことを繰り返す国なんだろうか。

銃撃犯のマティーン容疑者は、一方的なISの信奉者だったようだ。ニュースの断片をつなぎ合わせて考察してみると、一時の勢いは今やどこ吹く風でジリ貧も甚だしいISは、ここぞとばかりに自分たちが差し向けた実行犯によるテロだと言わんばかりの宣言をしたが、それは眉唾宣言だろうという結論に達する。

ティーンは、アフガンからの移民二世だったようで、本人は実はゲイだったという報道もある。アフガンからの移民二世の若者が、米国でどれほど恵まれた豊かな生活ができるのかは、想像に難くないような気もする。おまけに彼はゲイだったようだから、イスラムの戒律から、同性愛だとカミングアウトすることなどタブーだし、そういう人間だと気付かれることすらあってはならない世界なのだろう。だから、マティーンの閉塞感や悲しみは如何ばかりだったろうと思わずにはいられない。

容疑者は、自分と同じゲイなどの性的少数者たちに、ある種の「近親憎悪」を抱いていて鬱屈した精神が爆発したのだろう。そのトリガーとなったのは、まさしくトリガー(引き鉄)のある銃や自動小銃だったのだ。日本なら、爆発した若者は、ナイフや車を凶器として選択するが、米国では簡単に手に入る銃が、実に効率の良い凶器になるのである。

映画「ゴッド・ファーザー パート2」では、イタリアからひとりで移民船に乗ってニュー・ヨークにやってきた少年が成人し、銃を手にして小さな殺人を実行したのをきっかけに、ゴッド・ファーザーにのし上がっていく一部始終を描いている。イタリア移民の底辺の暮らしを描いて、そこからもがいて脱出していく大河ドラマに感動して、米国であれだけのヒットになったのだろうか。皆があのストーリーに、未来や過去の自分の姿を重ね合わせて見ているのだろうか。

今回の事件と「ゴッド・ファーザー2」が簡単に結びついてしまった私。多分に私の偏見が入っている。ほとんど想像でしかないのだが、堕ちるところまで堕ちてしまった人間が、次のステージに立つことはあるのだろうか。神に身をゆだねるだけの、抜け殻のようになってはいないだろうか。

射殺されて地獄へ堕ちたマティーン容疑者は、オーランドのあのLGBTたちが集まるクラブに笑顔でゲイとして訪れたかったのではなかろうか。あるいは、あのクラブから外部に向けて自動小銃で掃射したかったのかもしれない。心は「自爆」だったに違いない。事件が食い止められなかったことが、残念でならない。

「移民と銃」が、アメリカの歴史なのだ。今回の事件も、多様な社会性を持つ最も特異な国が持つ、建国以来続く悲劇なのかもしれない。いずれにせよやるせない出来事だった。
事件で亡くなられた方の冥福をお祈りするとともに、犠牲者のご家族やけがをされた方に心からお見舞いを申し上げたい。