遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

軍隊は復活させてはいけない

イメージ 1

大西巨人神聖喜劇」の一場面。昭和17年1月。まだ軍隊に入って間もないころ、新兵の東堂二等兵は、夜の自由時間に許可を得て辞書「広辞林」を見ていた。その日に小銃の各部の名称について教育を受けていた東堂は、大前田軍曹に「そんなもの(辞書)を見ているということは、お前は小銃の部品を十分勉強済みじゃろうな」と、試される。(以下本文)

大前田は、足早に銃架へ行き、歩兵銃一梃を手にして私の前にもどった。しかし、これは彼の誤算である。
「おれが差す部分の名称を言え、ええか。」
「はい。」
私は大前田の右人差し指の動きを追って、「照星(せいしょう)、㮶杖(さくじょう)、上帯(じょうたい)、下帯(かたい)、木被(もくひ)、照尺(しょうしゃく)、照尺鈑(しょうしゃくはん)、遊標(ゆうひょう)、遊底覆(ゆうていおおい)、槓桿(こうかん)、用心鉄、引鉄、弾倉底鈑、上支鉄、下支鉄、銃杷(じゅうは)、床尾(しょうび)、床尾鈑(しょうびはん)、床嘴(しょうし)。」と正確に澱みなく唱えた。当てはずれと苛立ちとの表情をあらわに示して、彼は銃を卓上に載せると、右手に槓桿を荒荒しく握り起こし、遊底を一杯に開いた。
「これ。」
「撃茎駐胛(げっけいちゅうこう)、弾倉、薬室、遊底駐子(ゆうていちゅうし)。」
大前田は、左親指を遊底駐子頭にかけ、駐子を左に開いて、遊底を尾筒から抜き取り、遊底履を取り除けた。
「円筒、抽筒子、橢円窓、撃針、撃針孔(げきしんこう)。」
彼は、右手の平の基部で撃茎駐胛の後面を圧し、それを右にまわして遊底を分解しようとしたが、さすがにそこで思い止まった。遊底を尾筒に入れて閉じた彼は、「おい、これを仕舞っとけ。」と命じて、小銃を私に突き返した。このたわいない罠に私が引っ掛かるとでも、彼は考えているのか。私はそれを受け取り、彼の言いつけを復唱し、銃口が私の左前上方に頭より高く位置するように銃身を持ち上げ、引鉄を引いておいて、銃架へ向かった。(以上、本文)

これは、まだ新兵で、その日に習った小銃の部分の名称を、東堂はよどみなくすらすらと答えるという、痛快な場面である。普通なら名称など覚えているはずもなく、なのでその場面で班長から鉄拳制裁を受けるはずなのだが、東堂はそんなものどこ吹く風といなしてしまうのである。
因縁を付けた大前田は、さすがにそれ以上やっても無駄だと銃を元に戻せと罠をしかける。しかしその罠にも東堂ははめられることなく、「規則通り」のやり方で銃を銃架に仕舞うのである。

それにしても、こんな銃の各部の名称を覚えさせてどうしようというのだろうか。幼稚なことこの上ない。技術的な習得よりも、上下関係を重視したり「しごき」をやったり体罰を加えるへなちょこ運動クラブによく似た体質である。というよりも、日本の体育会系はそういう日本軍の精神を少なからず受け継いでいるのだが。

まことに軍隊とは、上に行くほど馬鹿な軍人ばかりで、無駄の多いばかげたものだということがよく分かる一場面である。当時一番上にいたのは東条首相や東条を利用した参謀たちだったか。今も昔も変わらぬ景色だ日本。

軍隊など復活させてはいけないのである。