遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

お彼岸なのでお墓の話です

イメージ 1

女子高生の制服に、「おっ」と反応してしまう61歳です私。
と言っても、かつて娘の通っていた高校の制服を見つけると、懐かしくて反応するだけのことなんですけどね。

娘はミッション系の清楚な女子高に通っていたわけではなく、お寺さんの経営する女子高に通っていました。で、その制服がユニークで、ひと目でわが娘の高校だとわかるデザインと色の制服なのです。デザインは置いといて、その制服の色がグレーなんです。で、お寺さんの高校でグレーの制服なので、それを着る彼女たちは、その制服を自虐的に「墓石」と呼んでいるようです。(ちなみに制服のデザインは、森英恵だそうです。)

私は最初にだれが「墓石」と呼んだのが知りませんが(他校の生徒が揶揄して名付けたのかも)、そのユーモアに感心してしまいました。
そう言われれば確かに「墓石ルック」で、娘にそのエピソードを聞いた時はアハハと笑ってしまいました。桂米朝さんが亡くなりました(合掌)が、お笑いの聖地大阪人特有のユーモアのセンスに地元民ながら感心します。

さて前置きはこれくらいにして、今日の「久米書店」のゲストの「お墓」に関する話に感心したというのが本題です。

ゲストは曹洞宗の僧侶の枡野俊明氏で、書かれた本が「あなたのお墓は誰が守るのか 「心のエンディングノート」のすすめ」。俗っぽい私にはありがたくてためになるお話が満載の番組でありました。

そんな中で印象的だった話。
お墓参りをする人を見ていたら、お墓に行く時のお顔と帰ってくるときのお顔が全然違う。みなさん本当に穏やかな顔になって帰って来られる。
人は、ああしなければこうしなければといろんなものを背負っているが、お墓で両親やご先祖さんを前にして手を合わせれば「素」の自分になれる。お墓参りをして悩みを墓石の前で死者に聞いてもらえるだけで、心が晴れたような気分になれる。亡くなった先祖の前で手を合わせることに、肩ひじ張ることはないので穏やかな心になれる。これが墓参り効能なのではないか。

お墓はただの墓石ではないのであります。

私に話をしに来て、穏やかな顔をして帰っていく人たちがいます。そうか私は墓石のような存在なのだと、ありがたいお話で気付かされました。