遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

飢餓海峡/内田吐夢

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監督 内田吐夢(製作当時の年齢67歳、以下同様)
原作 水上勉(46)
出演者 三國連太郎(42)、左幸子(35)、伴淳三郎(53)、高倉健(34)
音楽 冨田勲(33)
公開 1965年1月15日 上映時間 183分

吉永小百合、思い出の日本映画」企画で放送された「飢餓海峡」。録画しておいたものを鑑賞。
この作品を、吉永小百合はオンタイムで観たという。私は、おそらく40年近く前に水上勉の原作を読み、内田吐夢の映画はその後20年くらい経ってテレビで見ていた。今回は、2回目の映画鑑賞。

原作者水上勉は、1954年9月26日に台風15号により起こった洞爺丸事故と、同日に起きた北海道の岩内大火から、この昭和の悲しい男女の物語を想起し構築した。

連絡船層雲丸(洞爺丸がモデル)の転覆による犠牲者のうち、二人の男の遺体の身元確認が取れないことから、物語ははじまる。

逃亡者犬飼多吉役に三國廉太郎、逃亡ほう助の娼婦杉戸八重役に左幸子、杉戸八重の証言のおかげで迷宮入りになった事件を追いかけていた弓坂刑事役に伴淳三郎が配役されている。

層雲丸事故から10年経って、迷宮入りかと思われた事件は思わぬ展開を見せる。その舞台は京都の舞鶴。海岸に打ち上げられた男女の遺体を、単なる自殺ではないと捜査を始める東舞鶴署の味村刑事役に高倉健

三國連太郎は、逃亡者犬飼と後の成功者樽見京一郎の同一人物双方を見事に演じ分けている。スケールのある複雑な人物像を、エネルギッシュに演じている。

一方、刑事弓坂を演じる伴淳三郎は、一見平凡な飄々とした職人気質の万年刑事のようだが、犯人逮捕に執念を見せる気骨のある老刑事を演じて見事であった。

「幕末太陽伝」(1957年)や「にっぽん昆虫記」(1963年)で、すでに演技派女優として認知されていた左幸子が、哀しくて貧しくて優しい娼婦を演じた。

高倉健は、1963年の東映任侠映画のさきがけとなる「人生劇場 飛車角」で大きなわき役をもらい、同年の「宮本武蔵 二刀流開眼」(内田吐夢監督)で佐々木小次郎役に抜擢されている。そして「飢餓海峡」の撮影後にはあの「網走番外地」の主演を務めることになる。ようやくまともな役が付きだしたころの溌剌とした高倉健がそこにいる。

話しは少しそれるが、この「飢餓海峡」の公開は正月過ぎの1965年1月15日とある。配給会社として一押しの映画が正月に上映されるわけだが、ではこの年の東映の正月映画は何だったのだろうと調べてみたら「徳川家康」だったようである。主演の家康役が北大路欣也織田信長中村錦之介、豊臣秀吉役に山本圭東映は、北大路欣也を主演として、「徳川家康」をシリーズ化したかったらしいが、その後続編は作られなかったようである。

東映ニューフェースで映画界入りした高倉健は、入社後10年経って鳴かず飛ばず。しかし、後から出てきた御大の御曹司が正月映画で歴史的ヒーロー役で主演を務める。内心、忸怩たるものがあったかもしれないなと、私は想像の輪を広げてしまった。

原作がミステリー色の濃い大河ドラマのような立てつけなので、物語自体が観客をとらえて離さない。しかも、内田吐夢の演出に忠実に応えられる名優たちに支えられ、クレーンやレールなどを利用した機動的なカメラワークも手伝って、キネ旬邦画オールタイムベスト3位の作品に仕上がっている。

ちなみに、私はドスを1本引っさげた着流しスタイルのクールで朴訥な役を演じた高倉健が大好きだった。黙祷・合掌。