遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

昭和の名作映画を彷彿とさせる奥田英朗の「罪の轍」   

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罪の轍   奥田 英朗 (著)   新潮社

1963年(昭和38年)に東京で起きた「吉展ちゃん誘拐事件」をもとに創作された社会派ミステリー・警察小説「罪の轍 (つみのわだち)」のご紹介。

翌年にオリンピックを控えた昭和38年の東京が事件の舞台。

北海道の礼文島に育った20歳の若者宇野寛治と、彼を追う警視庁捜査一課の若手刑事落合昌夫が交互に登場し物語を紡いでいく。

貧しい家庭で育ち、幼いころに継父の「当たり屋」家業の小道具とされていた宇野寛治は脳に障害が残り、成人してもまっとうな職に就くことができず、窃盗を繰り返し東京に流れてきた。東京でも、寛治は窃盗で何とか食いつないでいく生活を強いられていた。

時を同じくして、強盗殺人事件が起き、続いて小学1年生の少年が誘拐され身代金が要求される事件が重なり、警視庁では捜査本部が設置され落合昌夫も捜査に加わることになる。

やがて、身代金要求の電話の音声録音から、捜査線上に浮かんできたのが宇野寛治で、落合昌夫は追い込みをかける。

エリート警察官とたたき上げ警察官、ヤクザ、チンピラ、風俗嬢、在日コリアン、左翼運動家、社会派弁護士などを600ページに詰め込んでいくつかの犯罪事件と絡めれば、哀しき昭和のスリリングな物語が出来上がる。

事件発生から事件解決までの時間経過は長くないが、物語は入り組んでいて長い。読み応えがたっぷりあって長く楽しめる。

私は野村芳太郎の映画(1974年)を観たので原作は読んでいないが、松本清張の「砂の器」(1960年)や、水上勉の原作(1963年)も読み内田吐夢の映画(1965年)も観た「飢餓海峡」のテイストがある作品だ。また、少年の営利誘拐を描いた黒澤明の「天国と地獄」(1963年)や「当たり屋」家業を描いた大島渚の映画「少年」(1969年)を想起したところでもある。

前のオリンピックのころの、つまり57年前の日本はこんなだったのかと、当時小学4年生だった私はかなり懐かしいのだが、40歳以下の読者は驚くかもしれない。

身代金要求の電話を録音するために、警察はソニーにテープレコーダーを借り、渋る電電公社逆探知を頼み込む。史上初めてのケースとして、何とかスクープをあげたいマスコミに対して厳しい報道規制が取られた。なんとも、時代を感じる。

なんとも、昭和38年に時代を感じるのだが、それほど現代日本促成栽培されていることを感じる。一方で、オヤジ臭のする日本社会の根源的な部分はあまり変わっていないようにも思う。

オヤジ臭に毒された社会のひずみを「罪の轍」と呼んでもいいかもしれない。過去から今に続く、よりくっきりと深くなった「轍」を、本作を通して令和の時代にも見ることができよう。

 

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