遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

睡蓮/モネ

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假屋崎省吾が、フランスのジヴェルニーにあるモネの庭を訪れ、

5日間にわたって、庭師の手伝いをするという企画のTV番組を鑑賞。


番組は5月の撮影だったようで、広大なモネの庭の美しさは、

ただただため息が出るばかりなり。

假屋崎は現地で、何度も涙を流していた。

春の庭は、ありとあらゆる花が咲き乱れ、

6ユーロを払って見学に来る観光客の目を楽しませていた。


かの有名な、日本式のたいこ橋の頭上には、藤の花が咲き競い、

池の睡蓮が花開く季節まで、堂々の主役を務めていた。


「自分の描きたい風景を自分で作った画家は、モネ以外にいない」

と解説していたフランスの美術評論家の言葉に、なるほどと納得。

53歳でジヴェルニーに移り住んだモネは、

無愛想な果樹園を花が咲き乱れる庭に改造し、

それに隣接する湿地を購入し、川から水を引き込んで、睡蓮の池を造った。


モネの植物に関する知識は、博士並みのレベルで、

ひとえに自分の庭園の充実のために、独学でその境地に達したようである。

旅に出ても、天候に左右される球根や苗の植え替えなどの季節の庭仕事について、

こと細かに指示をしたためた手紙を、庭師に出していたようだ。


その甲斐あって、モネの死後80年を経て、ジヴェルニーの庭は、

4月から10月まで、観光客の耐えることのない素晴らしい庭を維持し続けている。


ほとりの柳が風にそよぐ素晴らしい池に、番組撮影中に白い睡蓮の一番花が咲いた。

その可憐な花を見て、假屋崎はまた涙に暮れるのであった。

50歳を迎えた彼だが、そのあたりを境に、男は涙もろくなるのかもしれない。


そして、旅の終わりにパリのオランジュリー美術館で、

假屋崎は、あの8枚のモネの睡蓮とご対面ということで、番組は終了した。


高さ2m、横の総延長は90mという大作「睡蓮」、

もとは王様が食べるオレンジが植わっていた温室だというオランジュリー美術館の、

天井いっぱいに日の光の差す地下室に、静かに横たわっている。


モナ・リザミロのビーナスも、ルーブルから日本にやってきたが、

オランジュリー美術館の「睡蓮」は門外不出だと思う。

あのサイズのものの運搬は不可能だし、

「睡蓮」がどこかに貸し出しされていると知ったら、

来館者たちは暴動をおこすので、そんなことはしないのである。


私の部下は、再来週から奥方とパリの美術館めぐりに出かけるようである、

私の影響なんだそうである。