遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ポール・ギョーム夫人の肖像/マリー・ローランサン

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「ポール・ギョーム夫人の肖像」 
マリー・ローランサン(1883-1956)作 
1924~28年頃  92㎝×73㎝  
オランジュリー美術館(パリ)

パリのコンコルド広場前のオランジュリー美術館。オレンジが栽培されていた温室(オランジュリー)を、モネの「睡蓮」の大作を設置するために開場された美術館。ルーブルやオルセーからもほど近くて、セーヌの川幅ほどの長さもなく比較的こじんまりとしていて、おそらくあまり混雑していなくておすすめの美術館である。

オランジュリーにはポール・ギョームとうい画商のコレクションも所蔵されており、その妻がモデルになったマリー・ローランサンの作品がご覧の「ポール・ギョーム夫人の肖像」、1924年から28年ころの作品である。

第一次世界大戦、そのためのスペイン亡命、離婚、パリへの帰郷などを経て、ローランサンの作風はパステル色のソフトタッチの作風に変化していった。男くさいマッチョなものに辟易して、人間的にも芸術的にもパステル・カラーに変わっていったような気がする、その気持ちが今ならよく理解できる。

私は、ローランサンパステル調作品は好きではなかったが、彼女の人生の変化を知ると、角も棘も出っ張りも濁りもない作風も「まあ、有りか」の気がしてきた。もうほとんど、水墨画作家の悟り境地で、その行きついたところがパステル調の作風だったのだろう。

ココ・シャネルが、私はその線ではないと自身の肖像画作品の受け取りを拒否した例外を除いて、ローランサン肖像画を描いてもらうことがステイタスとして流行したようで、「ポール・ギョーム夫人の肖像」のモデルもさぞかし満足だったと思うのである。いかがだろうか、私の推理。