監督:ジュリアン・シュナーベル
原作:ジャン=ドミニク・ボビー「潜水服は蝶の夢を見る」(講談社刊)
プロデューサー:キャスリーン・ケネディ、ジョン・キリク
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:マチュー・アマルリック
エマニュエル・セニエ
マリ=ジョゼ・クローズ
アンヌ・コンシニ
パトリック・シュネ
ニエル・アレストリュプ
オラツ・ロペス・ヘルメンディア
マックス・フォン・シドー
原作:ジャン=ドミニク・ボビー「潜水服は蝶の夢を見る」(講談社刊)
プロデューサー:キャスリーン・ケネディ、ジョン・キリク
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:マチュー・アマルリック
エマニュエル・セニエ
マリ=ジョゼ・クローズ
アンヌ・コンシニ
パトリック・シュネ
ニエル・アレストリュプ
オラツ・ロペス・ヘルメンディア
マックス・フォン・シドー
地上からホースでヘルメットに空気を送り、
そのヘルメットに小さなガラス窓がついた形式の潜水服をイメージいただきたい。
あの潜水服を身に着けて海中深く沈んでいる自分をイメージしていただきたい。
フランスの人気雑誌「ELLE」の編集長のジャン=ドミニク・ボビーは、
聴力と、左目の視力と、思考を組み立てる知力は助かったが他は一切機能しない。
潜水服に入って海中に沈んでいて、もう二度と地上には還れないような状況の男が、
「蝶のように花から花へ飛び回りたい」と夢見るお話である。
植物人間と化したジャン。
しかし、担当医や看護師や言語療法士の顔はジャンには見える、声も聞こえる。
美人の看護師や言語療法士や見舞い客や妻が、意識のある左目に語りかける。
そうこうしているうちに、ジャンの医療サポートチームは、
「ウィはまばたき1回、ノンはまばたき2回」という方法で、
彼の左目のウィンクで、コミュニケーションをとりはじめる。
さらに、言語療法士の読み上げるアルファベットに、ジャンがまばたきで反応して、
そのまばたきしたところのアルファベットをつないで、言語で意思疎通する方法を編み出す。
これがそのアルファベットのボードで、使用頻度順に並べてある。
これを、言語療法士が根気よく何度も読み上げ、
ジャンの言葉を書き留めて意思疎通を図るのである。
「E S A R I N ・・・」というフレーズが何度となく登場してくる。
さらに、ジャンは倒れる前に契約していた、本の出版にトライし始める。
出版社から派遣された女性の口述筆記担当がアルファベットを読み上げて、
小説を書き上げるための言葉を築いていくという、気の遠くなるような作業が始まるのである。
「E S A R I N ・・・」
映画館で見ることが出来なかった本作、一旦忘れ去っていたのを、
今般、頭の隅から引っ張り出してきてようやく鑑賞。
例によって予備知識まったくなしで観はじめて、
冒頭から、ジャンの左目の代わりをカメラ・レンズが勤め、
その仕掛けに、ああやはり観てよかったと、私の両目は即反応する。
ジャンの周りには、医療チームや妻や出版社から派遣された女性など、
美女がいて、ジャンの目は彼女たちの身体を追いかける。
ジャンの左目から見える生映像と、彼固有の過去の記憶は、
「潜水服」のなかの彼と、観客である私を退屈させない。
彼のかつての恋人たちや愛する家族が脳内に現れて、楽しい出来事を何度も思い出す、
彼女たちの声や言葉、唇や腕や脚、性的な思い出。
現在と過去と想像の未来と、時制は相前後して、私たちの前を画像になって流れてゆく。
主人公の置かれている状況は絶望的なのに、脳と耳と目に残されたわずかな機能を駆使して、
かようにも楽しく力強く生きていけるのだと、感動する。
ユーモアのある安らぎさえ感じる。
こういう感覚は、フランス映画にはかなわないと思い知らされる。
植物人間になった彼を、粘り強くサポートする美しい人たちと、
彼の記憶のなかに住まう美しい人たちに、励まされるように
ジャンは、ま ば た き で言葉を紡いでゆく。
男、女、子ども、映像、音楽、歌、光、闇、色調、風景、コスチューム、
それぞれが少しずつ主張しながら、ひとつの作品を形作ってくれる。
「アメリ」と同様、またしてもこのフランス映画に、
今後長きにわたり、心を奪われてしまいそうだ、
いい思い出作りになってしまった。
私は、いい思い出はたっぷりあるのだけど、まだ少しだけやり残したことがあるから、
潜水服に入るのはもう少し先延ばしにしたい。