日本公開 2012年4月7日
まったく口を利かない少年の物語「解錠師」のお次に登場は、まったくセリフをしゃべらない映画のご紹介。
途中でカラーになり、出演者たちが話し出すのかと思いきや、最後までモノクロームのサイレント映画で通した。
途中でカラーになり、出演者たちが話し出すのかと思いきや、最後までモノクロームのサイレント映画で通した。
チャップリンは「モダンタイムス」で、言語として体をなしていないでたらめの歌詞の歌を自らの肉声で歌うまでは、映画で一切声を出さなかった。「言葉」(ファシズム)に導かれた不幸な歴史を意識した行動だったと思われる。
この「アーティスト」の主人公であるサイレント映画のスターである俳優ジョージは、チャップリンとは少し違った理由で、音や声の出る映画トーキーを否定した。人の声は下品極まりなく、アーティストとしての自分の感性に合わないと頑としてトーキー映画に主演しようとしないのである。つまり映画で一切口を利かないと決め込んだのである。
そんな頑固なサイレント映画の売れっ子俳優の悲しい身の上話を、本物のサイレント映画に仕立ててしまったのが本作品。それがアカデミー賞の作品賞まで獲ってしまうのだから、ハリウッドのアカデミー会員たちの心の琴線に触れたのだろう。
主人公の二人の男女はフランスで活躍する俳優と女優で、監督もフランス人で、要するにこれはハリウッドで製作されたフランス映画ということになる。なのにフランスのエスプリはみじんも感じさせない。その理由は当然のことながら、セリフのないサイレント映画にしたからである。
イタリア移民のルドルフ・ヴァレンチノが、ハリウッドのスーパー・スターだった理由は、その見目麗しき容姿のせいだけでなく、彼が英語のセリフが必要とされないサイレント映画のスターだったからである。これは、フランス映画の「アーティスト」がオスカーを受賞したこととよく似ている現象である。
モノクロームながら、セットの豪華さや工夫のある見せ方も見事で、映画会社の3フロアをつなぐ階段シーンが秀逸。各フロアの廊下と階段そのものがおしゃれで見事だし、そこを行きかい上り下りする人たちの流れが見事。また、主人公の邸宅の階段の手すりと女優のシルエットもかっこいい。
さらに、サイレント映画を上映する劇場シーンはまさにスペクタクルで、生演奏の音楽が流れる中、正装した男女が映画を観ているシーンは、マスゲームにも似て圧巻であった。
全編を通して流れる音楽は、なめらかで美しく、その音楽に引きたてられた映像の美しさが印象的であった。
さらに、サイレント映画を上映する劇場シーンはまさにスペクタクルで、生演奏の音楽が流れる中、正装した男女が映画を観ているシーンは、マスゲームにも似て圧巻であった。
全編を通して流れる音楽は、なめらかで美しく、その音楽に引きたてられた映像の美しさが印象的であった。
主人公の飼い犬クンも、一言もしゃべらずに主演級の名演技をしてくれた。ギャラ100万ドル級の名演技であった。