遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

提言:社会科の授業を英語で行おう

イメージ 1

パリ旅行から帰ってきたばかりの部下、

こんな時期にワイナリーへ行ってきたそうで、

ノートルダム寺院でステンドグラスを見る時間は取れなかったとか。


室内に空があるかと見まがうほどの空間に、

背の高い窓いっぱいに使ってのステンドグラスの芸術は、

ろうそくの揺れる明かりとともに教会を訪れる楽しみのひとつである。

ステンドグラスは、字の読めない人に聖書の物語を理解してもらうためにも、

役に立っているという。


富山の置き薬、これも文字を読めない人のために、

薬袋に象徴的な絵を描いて、効き目を表現したものが多いと聞く。

しかし、わが国の識字率は世界に冠たるものであり、

99.8%という数値は、他の追随を許さないほどである。

わが国の識字率の男女別数値は、男99.9% 、女99.7%と、

戦前の女子教育のおざなりな結果が、わずかな差となって表れている。


しかし、いずれにしろ、

アルファベット26文字で読み書きする言語を持つ人たちと違って、

漢字やひらがなやカタカナやアルファベットのごちゃ混ぜになったことばを、

いともたやすく使用するわが国民の、言語能力の高さは世界誇るべきことである。


なのに一方で、英語力の弱さはこれまた先進国でナンバーワンである。

世界一難解な母国語が完璧なのに、なぜこういったことになってしまうのだろうか。

アジアの中でも、他国と受験者の母数が違いすぎるという理由があるにしろ、

TOEFLの国別平均スコアは常に最下位に近いものである。


かく言う私の英語力は超低レベルなのだが、

なかでも、話す能力は、英語を読んで理解する能力の10分の一くらいだと思う。

中学1年生から何年も英語の授業を受けてきて、ずいぶん無駄な時間をすごしていたと思う。


そこで、唐突に私の提案。

●小学校1年生から、社会科の授業は英語でおこなう

つまり、先生も生徒も、社会の時間は英語を話す以外は認めないのである。

小学1年生から、英語のための英語授業をするのではなく、

社会に出ても役に立つ英語の授業をおこなうのである。

リンゴの絵を見せて、「これは、あっぷるです」と教えるより、

「ゾウさんも大好きな、青森でたくさん採れる果物は何ですか?」と、

先生が英語で尋ね、生徒が「あっぷる」と答える授業の方が、

100倍ためになる気がするのだが、いかがだろう。


そして、

●中学以降の英語の科目は廃止。

●中学の社会も英語で行なわれる。ただし、固有名詞などに漢字を使うことも併用する。

●高校入試も英語は廃止。

●そのかわり、高校入試の社会は、英語で実施。

●高校からは社会は、英語と日本語で併用で実施する。

●語学を究めたい人のために英語の選択授業を設ける

そうすれば、地理・歴史・政治・経済が英語で理解できる国際人が、

容易に生まれると思う。


社会を英語で教えられる社会科の先生はとても少数だろうから、

英語の先生も社会科を教える。

はじめのうちは、インドやフィリピンなどから先生を呼んできてもいいだろう。

英語のキャリアさえ充分にある先生ならば、社会科の知識は後付でもいいと思う。


このアイデア、我ながらグッドアイデアだと思うのだが、

文部科学省さん、いかがでしょう(笑)。