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あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

祝「憲法記念日」守るべき民の生活がないのに自衛隊で何を守ろうとするのか

きょうは憲法記念日、おめでたい一日だ

岸田首相は憲法記念日を前に「自衛隊違憲論争に終止符を打つため、大変重要な課題であると丁寧に説明を続けていきたい」と述べ、夏の参院選改憲を党公約の重点項目に掲げる方針で「選挙での訴えを通じ、党の積極的な姿勢をアピールしたい」と強調したようだ。

そもそも今どこで岸田の言う「自衛隊違憲論争」が起きているのか、いまや共産党ですら自衛隊を容認しているのだからそれでいいではないか。それより、軍事予算が安倍第二次政権以降大きく伸びていて、アメリカから大量に不要な軍備を購入させられていることをもっと国会で精査すべきだろう。

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いまウクライナが使用している持ち運びができるアメリカ製の対戦車砲(筒状のものを肩に担いでそこから戦車に向けて砲弾を発車する武器)の一発の値段を妻に問うたところ「10万円くらい?」という答えが返ってきた。
現物を見ないで口頭での問答だったので無理もないかもしれないが、その砲弾は一発「約1千万円」だった。命中率が高くて、一日の訓練で操作できる武器だそうで、発射装置とセットだと約2千万円だそうで、要するに1千万円の発射筒を用いて1千万円の砲弾を発射する武器なのだ。それを、歩兵が携帯して大草原を歩いているのが今のウクライナなのである。

たしかに「武器は高い」し「戦争には金がかかる」が、日本は戦後一回も敵に砲弾を発射したことも撃ち込まれたこともない国なのに、防衛予算は巨額なのだ。

少子高齢化は進み、消費税で賄うはずの福祉予算は切り捨てられ、賃金や年金は下がり金利も上がらず保険料や税金や物価だけが上がり、必死で生活苦と闘い続けていて国民は疲弊している。

政治家の仕事は、適正な予算配分(有効な税金の使い方)による国民の生活向上のはずなのに、どさくさに紛れて憲法を改正するなんて、われわれをどこに連れていくつもりなのだろうか。

戦国の昔から、食えなくなったら戦に参加するのが常道だったように、貧しい民を大量に作って軍隊に入隊させようという魂胆かと勘繰られそうな予算配分がしばらく続いている。

先の戦争を反省し、以後戦争を放棄しますと白旗を掲げて戦後の経済発展を成し遂げた日本は、平和憲法の下世界に類を見ない平和大国&経済大国に成長してきたのではないだろうか。

一時の心無い権力者の浅はかな考え方に与して、その平和憲法をやすやすと変えてしまっていいのだろうか。

ウクライナのように地続きの国境線を他国の戦車が越えてくることはないし、日常的に仮想敵国の脅威を意識していないのは、日本が憲法の下長い間白い旗を振り続けていたからではないだろうか。

あえて自衛隊の存在を憲法で位置付けなくても自衛隊は立派に存在し続けている。

しかし、憲法では生存権(国民の生活の保障を国家の任務とすべき)も保証されているにもかかわらず、国民の命がないがしろにされてはいないだろうか

守るべき民の生活がないのに、自衛隊で何を守ろうとするのか改憲する前によく考えてみる必要がありそうだ。