2019年8月17日の天声人語に、「高校の国語でこれから、文学が選択科目になる」との哀しい一節があった。国語教育から文学が消えゆく運命にあるということなのか、契約書とかマニュアルなどの実用的な文章を国語の教材にしていく方向なのだという。
国語の教科による文学に親しむ教育が基本としてあってこそ、他の学問や教養が身につくものである。また、文学が大学入試に不必要なものなら、小学校教育から無駄を排除するという意味で文学を切っていく傾向になるであろう。
こういう傾向は、現政権の「文系軽視」の発想から生まれたものに違いない。政治批判や反体制の考えは「文系」から生まれてくると考えているようだが、それは逆に「理系」を著しくバカにしているとも言えよう。
前川喜平が文部科学大臣になってこういうバカげた考え方の盾になってもらうしかないのか。文学と切っても切れない出版社や新聞社がこの状況を指をくわえて黙っているわけでもないようだが、もっと強く憤りを発信すべきであろう。
かく言う私が本ばかり読んでいる文学青年だったわけでもないが、少なからず国語の教科書で文学と触れてその甘い香りに魅せられてきた身としては、バカ政権の文系軽視の浅ましい考え方には情けなくて涙が出る。
とういことで前置きが長くなったが、本日のテーマ。今年の春くらいに朝日新聞が企画した、書評を執筆している120人が選んだ「平成の30冊」をご紹介。
芸術関連書籍が入り込む余地はなかったようだが、文学をはじめ歴史や科学の専門書も多くを占め、バランスよく選択されている。
ちなみに私の既読本は、30冊のうちわずかにつぎの5冊だった。
自宅の本棚にあるけど未読なのが「OUT」(桐野夏生1997)と「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一2007)であった。福岡教授の本は、これからでも読もうと思う。
《「平成の30冊」は、新聞や週刊誌で書評を執筆している方々へのアンケートで選びました。1989~2018年に出た本の中からベスト5を選んでいただき、1位から順に5~1点と点数化し、集計。120人から回答が寄せられました。》
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)