結果は履正社が5-3で勝ち、初優勝した。アッパレ!
私は、どちらが優勝しても問題なかった。
1979年8月16日、ちょうど京都の職場で大文字パーティーをしていたのだが、大文字の送り火より甲子園での簑島高校と星稜高校の延長18回の試合のゆくえの方が気になっていた。簑島は星稜を相手に奇跡的ともいえるこの3回戦を勝利して、結果的にその年の春夏連続優勝を手にしていたが、星稜が全国区になった試合だった。
また、1992年には怪物松井秀喜を要して夏の甲子園で優勝を目指していた星稜だったが、2回戦の明徳義塾高校戦で、松井は5連続敬遠で勝負を避けられチームは敗退していた。その時、三遊間を組んだのが松井と2年生だった現監督の林遊撃手だった。
今年の春の選抜では、その林監督が相手チームがサインを盗んでいると試合後猛抗議して、相手の監督控室に乗り込んでいったというエピソードも記憶に新しい。私はその抗議に同情的だったので、夏の星稜には頑張ってほしいと思っていた。
そして、奥川という優秀なピッチャーも星稜高校の魅力のひとつでもあった。
なので、決勝で勝つのは地元の履正社でも、そろそろ優勝してもいい北陸の雄である星稜でもよかった。
総合力に勝る履正社が勝利したが、決勝にふさわしいいいゲームだった。
星稜の林監督はまだ若いし、これからもいい選手を育ててほしい、遠くない未来にまた決勝まで行くだろう。奥川投手は、プロ野球でその成長を見てみたい。
ということで、星稜にもアッパレ!