遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

小倉昌男 祈りと経営/森健

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小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの  森 健  (著) 小学館

今回、私の読書感想は、2017年大宅壮一ノンフィクション大賞受賞「小倉昌男 祈りと経営」をご紹介。本書は、2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞受賞も受賞している。

関東で三越百貨店の配送を請け負っていたヤマト運輸は、1976年に「クロネコヤマトの宅急便」を開始してのち全国区の運送業に成長した。その「宅急便」の生みの親が当時のオーナー社長、小倉昌男だった。

小倉昌男を初めて認識したのは、政府の公聴会のようなところで意見を述べているニュースであった。当時は郵政や郵政官僚と闘っているヤマトの社長として認識はしていたが、公聴会での和かな物言いに、こんなジェントルマンだったのかと驚いた。許認可権を持っている官僚たちに喧嘩を吹っ掛けるのを怖がっているような男ではなかったが、一瞥だけだったが、小倉から勇ましさや傲慢さを感じなかった。

その後、彼の自署(日経の「私の履歴書」がベース)「経営はロマンだ!」をとても面白く読んだ。その頃、小倉はヤマトの保有株をほとんど売却した数十億円の資金を元に、福祉事業に取り組んでいた頃だった。
「経営はロマンだ!」 https://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/23380874.html

今般、大宅壮一賞を受賞したタイミングで「祈りと経営」をすぐ読み始めた。もう小倉のことは知っているつもりだったのだが、それは宅急便ビジネスを始めたまでの小倉の半生と退職後の福祉財団事業のことだけだった。私の知るその物語だけで、彼の体制への反骨心や、社会から見放された弱者への慈しみの心が表象されている。

本書「祈りと経営」でも、その部分は書き込まれている。著者の森健は、取材をしなくとも小倉にまつわる書籍を参照すれば本書に近いものが書けたであろう。しかし、それらは本書の初めから3分の一のところで終わり、「このあと何があるのだろう?」と未知の期待を抱かせる。

「祈りと経営」というタイトルを借りれば、「経営」の話は3分の1のところで終わり、「祈り」の部分が頭をもたげてくるのである。「祈り」の部分は、小倉の「ファミリーストーリー」であると同時に、誰も知らない世にまだ出ていない「アナザーストーリー」であった。

彼が作って持った「家族の肖像」の中心部には、妻の玲子と娘の真理が存在した。社会人としてはほぼ完ぺきにジェントルマンで成功者であった小倉は、家族に悩みを持っていた。森健は、小倉とその妻玲子がすでに亡くなった時代を、関係者に会って証言を本書に紡いでいった。

著者は関係者の了承を得てこのノンフィクションを刊行したのだろうが、インタビューを繰り返すうちに信頼を得たということだろう。ノンフィクションを書くということは、関係者の信頼を得るということなのだと感服する。

妻玲子と長女真理という強烈なキャラクターの確執が、プライバシーもあらわに表象される。真理の弟はそこから逃げ(家を出て独立)、玲子とともに敬虔なクリスチャンだった小倉は、じっと祈りながら余生を暮らした。

小倉昌男の生涯の光と影を、彼の尊厳を失うことなく森健は本書で表現した。小倉の臨終の場面では、涙を抑えることができなかった。

以下は、本書で紹介された小倉昌男を支えた「ニーバーの祈り」の一説である。経営者としては「勇気」を持って壁に対峙し、家庭人としては「冷静さ」を保ってじっと祈りを実践した。

ニーバーの祈り
神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ
変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ