遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

箱根0区を駆ける者たち/佐藤俊

イメージ 1


箱根0区を駆ける者たち   佐藤 俊   幻冬舎


2019年正月の箱根駅伝は、東海大学の初優勝が記憶に新しい。

その後、茂木健一郎が自らが審査員を務める開高健ノンフィクション賞の候補作「箱根0区を駆ける者たち」が面白いとツイッターで薦めてくれた。

本書の取材対象は、今年箱根を優勝した東海大学陸上部(以下、東海大)である。しかし、本書は2018年の12月に刊行されているので、箱根の優勝に乗った企画ではない。

メイン舞台となったのは、2018年正月の箱根駅伝で、青山学院大学が大会新記録で大会3連覇を達成し、4分以上もの差をつけられた2位の東洋大学も大会新記録という超高速レースであった。

東海大から見れば、12分以上の差をつけてゴールテープを切った青学は、別次元の怪物チームであった。しかし、遡ること3か月前の出雲全日本大学駅伝では、6区間45.1㎞の大会とは言え東海大は優勝し青学の年間3冠(出雲、全日本、箱根)制覇を拒んでいる。

なので、東海大は実力を備えたチームであった。とりわけ、「黄金世代」と呼ばれる当時2年生を中心とした高速チームの編成が可能だった。しかし、10区217.1㎞の箱根を制覇するには、コンディションや集中力や選手起用や戦略やチームワークやサポート体制が万全である必要があった。

箱根にエントリーできるのは16名で、そのメンバーで区間オーダーを決める。オーダーの交代もこの16人の中で行われる。そのほかのメンバーは、箱根路を走ることを断念せざるをえない。エントリーから漏れた選手たちが「箱根0区」を駆ける者たちとなる。

箱根0区の者たちは、中継所に詰めて正選手のサポートをしたり、ボトルを持って給水のために短い距離を正選手とともに走る。役目が終わると沿道で応援に回る。

本書の舞台である2018年の箱根駅伝は、東海大の箱根を走った選手たちと彼らをサポートした控えの選手、マネージャー、コーチ、両角(もろずみ)監督の目から見たレースの裏側が紹介される。テレビ放送では目の届かないところにまで取材は及んでいる。

当日、著者は取材のためにどういう行動をしたのか、本書を読んで想像するしかないが、レース本番の前と最中と後で、箱根を10区間走った選手と「0区」の選手とマネージャーたちへの綿密な取材が敢行されたことは確実だ。

その取材した素材を組み立てて、多元中継による奥深いレース模様を私たちに示してくれている。この表舞台と舞台裏が実に面白い。

駅伝はマラソンと違って、タスキをつなげる団体スポーツなのだが、実際にタスキに触れることのない選手やマネージャーたちも含めた団体スポーツだということがよくわかる。よくわかるだけでなく、そのことが感動を呼ぶ。

入部した時に東海大は、持ちタイムによりSABCDの5段階クラスに分けられる。部員の暮らす寮も差がつけられる。持ちタイムが5000m15分を切れない選手は入部も認められない。

それぞれが、上のクラスへの昇級や、さまざまな記録会で14分台を出して入部を目指す。そして、最終目標として(それは開催時期的にもグレード的にも)、箱根駅伝を目指して精進する。

箱根を走れなかった選手の悲嘆と後悔と再生、実際に走った選手の悲嘆と後悔と軋轢と充実、チーム全体のそれぞれの努力と工夫がとても人間ドキュメントであった。

著者の佐藤俊には「続・箱根0区」をぜひ書いてほしい。言うまでもないが、舞台は東海大が優勝した今年の箱根駅伝である。2018年の続編としてぜひ読んでみたい。