遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

モハメド・アリの死を悼む

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子ども用の学習年鑑で見たのか、私にとっては生涯忘れることのない戦慄の写真が、上のモハメド・アリソニー・リストンの写真である。

【22歳という若さで世界ヘビー級チャンピオンのタイトルを手にしたモハメド・アリは、王座奪還に燃えるソニー・リストンをわずか1ラウンドでKOしてしまう。アリはリストンが反撃するチャンスも与えず、チャンピオンの圧倒的な強さを世界に見せつけた。】

これが、この写真のキャプションである。1965年のことである。前年、はじめてチャンピオンになったときは、まだカシアス・クレイと名乗っていた。

当時子どもだった私には、マット上に横たわる敗者に向かって、何かを叫んでいる勝者の姿に、畏怖の念をおぼえた。勝利しそうな瞬間に何を怒っているのだろうと、当時小学6年生の私にはよく分からなくて、しかしなぜかショッキングな写真だった。

この1965年の、ソニー・リストンとのリターンマッチは、私のベスト・マッチである。この試合で、アリが後ずさりながら最初に繰り出した目にも止まらぬ一発のパンチが、リストンをマットに沈めた。

私が小学5年生の時にアリは世界チャンピオンになり、高校1年生の頃にベトナム戦争の徴兵拒否で有罪となり、チャンピオン資格をはく奪された。リング上のアリに夢中だった私は、反戦・反差別の戦いを貫く彼の姿勢に賛同はしたが、チャンピオンをはく奪されたことにとても残念だと思っていたことを懐かしく思い返す。

ボクシングを、マフィアが仕切る興業からプロスポーツの場に引きずり出してきたのは、アリだったと思う。同じ黒人ボクサーだったソニー・リストンは、アリから見るとマフィアに魂を売った白人の犬に見えたのかもしれない。

1960年のローマオリンピックのボクシング、ライトヘビー級で金メダルを獲った18歳のアリは、故郷に凱旋中、白人専用レストランで入店拒否に遭い、その怒りからオハイオ川に金メダルを投げ捨てた。

金メダルを川に捨てたことは、アトランタオリンピックで再度金メダルのレプリカがアリに授与された頃に知ったが、あのマット上の叫びは、ソニー・リストンを含めた、当時のアメリカ社会への罵倒であったのかもしれない。

アリのボクシングスタイルは、ボクサーの理想だった。目にも鮮やかなスピード・パンチは、すぐノック・アウトをとれるが、相手のダメージは長引かない。ボクシングは、こういうスポーツなんだという見本である。後にも先にもこのようなボクサーは存在しない。そして、彼はその後、清きムスリムのまま生涯を閉じた。

私が夢中になったアスリートの一人だった、ムハメド・アリ。
2016年6月3日に永眠、74歳だった。謹んで冥福を祈りたい。合掌。