遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ミリオンダラー・ベイビー/クリント・イーストウッド

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2004年第77回アカデミー賞の作品賞と監督賞を獲得した、

クリント・イーストウッドの監督作品である。

少しずつ不幸の形が違っている主人公3人のアウトラインを、ざっとご紹介。


ボクシングジムのオーナー兼トレーナー役が、イーストウッド

長年、一人娘に送り続けている手紙は、必ず返却されてきて、

一人暮らしを余儀なくされている。


ジムで寝泊りする代わりに、

掃除などの雑役を担っている元ボクサー役が、モーガンフリーマン。

彼の最後の試合は悲惨な負け方で、イーストウッドが彼のトレーナーだった。


そして、もう一人の主人公が、

ボクサー志願のウェイトレス役、ヒラリー・スワンク

13歳のときから、彼女の半生以上の長きにわたってウェイトレスをしていて、

30歳に手の届きそうな年齢なのに、ずっと貧しい生活のままなのに、

イーストウッドに弟子入りさせてくれと懇願する。


女のボクサーは認めない、とかたくななイーストウッドは、

やがてフリーマンの助言や、スワンクの執拗な嘆願に翻意し、

スワンクの熱心な老トレーナーに変身していく。

手紙が届かないままの実の娘と、名誉と愛に飢えた目の前の見知らぬ娘が、

心の中でオーバーラップし、老トレーナは翻意したのかもしれない。

30歳を超えてリンクにデビューしたスワンクは、

イーストウッドと二人三脚で、快進撃を続けていくのだが…。


この快進撃を続けていく、女子ボクシングのシーンがとてもうまく描写出来ていて、

アメリカ映画はボクシングをうまく描くなあと、

長年培われてきた伝統産業の技術の真髄に触れ、敬意を表したくなってくる。


「グラントリノ」でも同じだったが、枯れた演技のイーストウッドは、

本当に枯れる寸前なのに、映画に出演しているのではないだろうかと疑わせる。

終始抑えた演技で、映画の最後にそれが、静かに爆発する。

スポーツ根性ドラマだと思っていたら、

ラストにヒューマンドキュメントに変身してしまったような、静かな爆発なのである。


物議をかもした、その老トレーナーの選んだ行動に、素直に一票は入れられないが、

ああいう行動が愛情だということは理解できるし、私には許せることなのである。
 

アカデミー主演女優賞受賞(ヒラリー・スワンク
アカデミー助演男優賞受賞(モーガン・フリーマン
アカデミー監督賞(クリント・イーストウッド
アカデミー作品賞