遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

風信帖/空海

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国宝「風信帖(ふうしんじょう)」。

「風信帖」は、「灌頂歴名」と並び称せられる空海の書の最高傑作とされており、「風信帖」(1通目)、「忽披帖」(2通目)、「忽恵帖」(3通目)の3通を1巻にまとめたもので、その1通目の書き出しの句に因んでこの名がある。大きさは、28.8cm×157.9cm。東寺蔵。今回の展示は、一巻に連なった3通すべてが開帳されていた。

「風信帖」は、空海(774-835)が最澄(767-822)に宛てた手紙で、まだ仮名が誕生する前なので、当然すべて漢字。空海は、室戸岬の洞窟の中で悟りを開いたといわれており、その洞窟からは「空と海」しか見えなかったため、「空海」と名乗ったと伝わっている。
年長の最澄が、唐から帰った空海密教の教えを請う手紙に応えたもので、最澄を意識したのか、筆使いは空海の緊張感が伝わる。しかし、年長にして遣唐使の先人に礼を重んじたものでもある。

「あなた(最澄)と堅慧(推定)と私の3人が集まって、仏教の根本問題を語り合い仏教活動を盛んにして仏恩に報いたい。どうか労をいとわず、この院(乙訓寺と推定)まで降りて来て下さい。ぜひぜひお願いする。」といった内容で、空海40歳前後、西暦812年(弘仁3年頃)の筆跡とされている。

きちんと読めないし意味もつかめないけど、巨人にして天才の手になる、国宝中の国宝である。
「風信雲書自天翔臨」で始まるこの書、画像でしか見たことがなかったが、このたび初めて真筆に対面できたのである。

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上の「忽恵帖(こつけいじょう)」は、「風信帖」に続く3通目の手紙で、緊張も解け力が抜けていて、伸びやかな躍動感がある。空海の最も得意とする草書として傑出したものらしい。
1200年も前のものが、今より優れていることもあるのである。