遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

無駄な「うさぎ跳び」からの卒業

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かつてのスポーツトレーニングに「うさぎ跳び」というのがあったが、いまやそんなトレーニングは存在しなくなった。筋肉や関節にリスクの少ない効果的なトレーニングがほかに存在するからだ。

日本のスポーツ界から「うさぎ跳び」は消えたが、日本の社会のいたるところに、この非効率でリスクのある「うさぎ跳び」(見当違いの努力)が存在していて、日本社会や経済や人間の成長の妨げになっていると、28日の朝日新聞小熊英二オーソリティの文献を参考にしてわかりやすく説いてくれる。

教員の無駄に長い労働時間。非効率な社会保障。日本の世界競争力ランキングの低下。低い「政治参加」や「政治文化」。ブラックバイトに見る若者の消耗。政権のための長い取材。これらが、「うさぎ跳び」だと指摘する。
長い間の見当違いの努力で、日本社会は人的資源を腐らせたり失っていると断言するのである。
日本の非効率 「うさぎ跳び」から卒業を 歴史社会学者・小熊英二

日々の「正しいトレーニング」は、体力や技術を向上させるために必要だが、「誤ったトレーニング」を、しかもそれを強要されることは、破壊や停滞を産む。効率性だけを重視して、イケイケドンドンというのではなく、効率性を重視してゆとりを生んで穏やかで安定的な社会を目指したいものだと思う。

無駄な「うさぎ跳び」を強要されたときに、たとえ拒否できなくても、強要する相手に笑顔で「やってみましたが効果が薄いです、違う方法にしましょう、違う方法を考えませんか」くらいのことは言える勇気やレトリック(話術にして護身術)を持ちたいものである。