「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています。
私は国会で取り上げられる前にブログで紹介し、ママの絶叫に同情し訴えを支持しました。 「保育園落ちた!/ママの絶叫」
このころ、テレビで毎日新聞のとある女性記者が、自身も子どもさんを行かせたい保育園に落ちて絶望した経験があると話していました。彼女は、その保育園落ちた通知ハガキをデスクの引き出しに入れて、ことあるごとにそれ見るそうです。苦しかったりめげそうになった時にその通知を見て「でもあの時のひどさより今の方がましだ」と思って前向きになるのだそうです。
俵万智をはじめ、「日本死ね」を流行語大賞候補に挙げた選考委員たちは、ネットで非国民レッテルを張られているようですが、まあ非難しているのはごく一部で、よくぞ取り上げたそれこそ今を表す流行語だったと、物言わぬ大多数の人は拍手をしていると思います。
「日本死ね」。そう、日本は死なないと治らないのですから。