遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

白い帽子の女/ピカソ

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白い帽子の女   パブロ・ピカソ  1921年



オランジュリー美術館展 ジャン・ヴァルテル&ポール・ギョームコレクションの

第3弾は、ピカソ

彼は、ブラックとともにキュビスムの代表選手。


ブラックの風景画を審査したマティスが、

「すべて立方体で構成されている」と評した。

この言葉がキュビスムという名称の端緒となった。


ピカソは、1907年に「アヴィニョンの娘たち」(NY近代美術館)を

制作しており、それから十数年後の1921年に描かれたこの「白い帽子の女」は、

伝統的な新古典様式の作品である。


普通は順序が逆じゃないかと云われても無理のない、

モダンから古典への回帰であった。


この頃、私生活では息子が産まれ、仕事はロシアバレエ団の舞台美術を担当していて、

生活と同様に精神的にも安定した時期だったのかもしれない、

そんな精神的変化からか、キュビスムから新古典主義への回帰といおうか、

復帰を成し遂げている。


白い帽子を被ったモデルは、当時の妻オルガと思しき女性で、

作品全体をのどかな幸せな空気が漂い、

赤や青の絵具は控えめだが澄みきった落ち着きを感じさせ、

母性を連想させる手触りの良い木綿のような風合いの作品である。




ピカソは、この作品から数年後には、一転してシュールな画風になるのであるが、

彼の芸術は、終始爆発していたわけではない。

こういう穏やかな平和な時代を映した作品群が、

オランジュリー美術館には、つまり、ポール・ギョームコレクションには存在するのである。