遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

チャイコフスキー「悲愴」/ムラヴィンスキー

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指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー

この冬は、チャイコフスキー(1840 - 1893)の「悲愴」を聴いて過ごした。指揮はムラヴィンスキー、演奏はレニングラード・フィルの名盤である。

チャイコフスキー自身が、この交響曲の副題を「悲愴」と名付けたという。チャイコフスキーはこの名曲の初演から、なんと9日後にコレラの感染により53歳の生涯を終えたという。偉大な作曲家の悲愴な最期がなんとも暗示的である。

第3楽章が華やかで力強い演奏で交響曲全体のフィナレーのように終わるのだが、続く第4楽章は、悲しくて哀しくて、もだえ苦しむような悩ましくて美しい旋律が消え入るように終わる。シンフォニーの悲愴な最後が、これまたなんとも暗示的である。

YouTubeでは、小澤征爾が指揮したカラヤン生誕100年記念のベルリン・フィルの演奏会を観たが、第4楽章が終わって拍手に至るまでのあの間合いがなんとも複雑で、私ならしばらくしてから拍手を打ち出すだろうと思う。

このアルバムは、ムラヴィンスキー(1903 - 1988)とレニングラード・フィルの組み合わせで、彼らの絶頂期ともいうべき1961年の録音である。チャイコフスキーの演奏にふさわしい、ロシアの遺伝子が詰まった理想的なカップリングだという気がする。おおらかで滑らかで素晴らしい演奏である。

どこかで聞き覚えのある第1楽章は、ロシアの広大な地平線や滔々と流れる大河などを連想させ、チャイコフスキーの美しいメロディーの代表的なものと言えよう。第4楽章を除いては、どちらかというと地平線の彼方に希望が見いだせる勇気をもらえるような気がしてくる名作だと思う。

第4楽章の終わりを意識して、いつか生演奏を聴いてみたいと思う。