遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

瀟洒で居心地のいい空間/百貨店

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大阪の心斎橋の大丸が2019年オープンを目指して建て替えられるという。現在の建物での営業は年内の予定。

この建物は、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し、ネオ・ゴシック様式の建築物とアール・デコ様式の装飾が施された名建築である。一度焼失した大丸本館は、1922年から約10年にわたって再建造され、いまのコンクリートの建物が完成したという。

何度も訪れている百貨店だが、今回改めてネットに掲載されている本館の写真を見ると、確かに随所に大理石などが使われた、みごとなアール・デコ様式の装飾が施されている。何度も訪れている百貨店だが、今まで気にも留めなかった。

梅田の阪急百貨店が、世界で初めてのターミナル・デパートだったと、先だっての私の記事で紹介したが、それが1920年のこと。老舗の百貨店の歴史はさらにさかのぼることになる。そこで、老舗百貨店の元の家業などの歴史をウィキペディアで調べてみた。

発祥の地が、大丸、そごう、高島屋が関西、三越伊勢丹松屋が関東、松坂屋が名古屋。(三越の三井家のルーツは、近江商人伊勢商人だったらしい。)
元の家業が、三越松坂屋松屋伊勢丹が元呉服商で、大丸、高島屋とそごうが元古着商とある。高島屋が、滋賀の高島から命名されていると知る!
また、松屋伊勢丹が明治に開業で、それ以外は江戸時代の開業となっている。

百貨店の建物は、明治のころから官製の建物以上に瀟洒で居心地のいい空間を提供し続けた。あらゆる商品がそろっているだけでなく、ファッションやモードの最前線でもあった。また、食事を楽しめたり、総菜を持ち帰れたり、屋上遊園があったり、軽食が食べられコップ売りのジュースもあり、ちょとした社交場でアミューズメントパーク要素さえあった。昭和の田舎の子供だった私の、大好きな空間であった。

心斎橋の大丸、機能的な現代的な建物に建て替えられるのだろうが、ちょっと残念な気もする。

【老舗百貨店の創業データ】

1611年(慶長16年)- 織田家の小姓の子孫である伊藤蘭丸祐道が名古屋本町で 呉服小間物商「いとう呉服店」創業。
1768年(明和5年)4月5日(5月20日) - 江戸進出。上野の「松坂屋」を買収し、同店を「いとう松坂屋」と改称。

1673年(延宝元年) - 伊勢商人・三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行辺り)に、呉服店越後屋」を開業(間口9尺の小さな借り店舗)。

◇大丸
1717年享保2年)下村彦右衛門正啓、京都伏見の生家に古着商「大文字屋」開業(大丸創業)。

◇そごう
1830年天保元年) - 十合伊兵衛が、大阪の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業。
1877年(明治10年) - 大阪の心斎橋筋に大和屋を移転すると共に十合呉服店へ改称する[1]。これが後のそごう心斎橋本店(旧そごう大阪店)である。

1831年天保2年)1月10日 - 初代の飯田新七が、京都烏丸松原で、古着・木綿商「たかしまや」を創業。
屋号は、飯田新七の養父・儀兵衛が、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)の出身であることによる。幕末には官軍に物資を調達した。

1869年12月5日(明治2年11月3日)- 初代古屋徳兵衛により横浜石川町にて「鶴屋呉服店」を創業したのが始まり。
1899年(明治32年) - 東京神田今川橋の松屋呉服店(1776年(安永5年)創業)を買収し、東京へ進出。

1886年明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が中山道沿いの東京府神田区旅籠町二丁目4番地(現:東京都千代田区外神田一丁目5番)に、伊勢屋丹治呉服店を創業。