遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

【国宝展】燕子花図/尾形光琳

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東京南青山の根津美術館では、尾形光琳(1658-1716)の「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」を展示するのが、毎年まさに燕子花のシーズンである4月半ばから5月半ばまでの期間です。いつかはそのシーズンに根津美術館を訪れたいと思っていました。

しかし、その名作が「国宝展」のために100年ぶりに京都に里帰りしてくれました。
平日の16時に京博に入館したのですが、比較的ゆっくりとたっぷり時間を取って鑑賞できました。至福のひとときでした。

京都・西本願寺に所蔵されていた本作は、大正2年(1913)に売立に出され、鉄道王根津嘉一郎のコレクションとなったそうです。西本願寺からでてから「燕子花図屏風」が京都に戻ることはなく、このたび100年以上の時を経て初の里帰りを果たすこととなりました。

■尾形 光琳(おがた こうりん、万治元年(1658年) - 享保元年6月2日(1716年7月20日))は、江戸時代の画家。工芸家
1658年、京都の呉服商雁金屋 尾形宗謙の次男として生まれる。30歳の時、父の死去に伴い家督を継ぐが、生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送って、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たし、弟の尾形乾山からも借金するようなありさまであった。画業に身を入れ始めたのもこうした経済的困窮が一因であった。大画面の装飾的な屏風絵から、水墨画まで作風は多彩だが、どの作品にも都会的センスとデザイン感覚があふれている。弟の乾山との合作による陶器の絵付け、手描き友禅の絵付け、漆工芸品のデザインに至るまで、幅広くその才能を発揮している。

光琳は、京染めの呉服商の倅(せがれ)であり、型紙を使って生地を染める職人の倅でもあり、この画は、型紙を抜いて生地に配置されたような杜若(かきつばた)の群生図です。

伊勢物語」の「三河の八橋」を題材にとった作品とされていて、海外に流出してしまった光琳の「八橋図」(メトロポリタン美術館所蔵)には、「橋」が描かれているが、この根津の「燕子花屏風」は一切が省略されて、杜若以外は何も描かれていません。

「屏風の外に、橋や流れや三河の風景が存在する」、それは観る側に与えられた自由なんだと、遊び人光琳は言いたいのか、省略を重ねることによるスケール感の出し方が、松雄芭蕉の俳句のようであります。

尾形光琳には、空海や運慶や雪舟などの巨人と同じく、ブームなどなくて、恒星のような半永久的存在であります。