この候補者たちは、まず党内の討論会で持論を繰り広げ、本番の大統領選挙でも、各党の候補者の討論会で意見を戦わせるのである。その討論会は、テレビ放送で全米に放映され、全米の市民が候補者の笑顔に隠された魔性を嗅ぎ取るのである。
おいしいことを言っているが、人格的に問題はないか、真のリーダーの資格はあるかというふるいにかけるのである。党内候補になる際にふるいにかけられ、大統領選でさらにふるいにかけられるのである。
さて、我が国の宰相はどうだろう。すらっとした外見と柔和な顔に隠された「魔性」を、善良な市民が見て取れるだろうか。単に知性がないだけでなく、勇気もなく思いやりもなく、国民や国のことを休日のゴルフほどに真剣に考えていない。それが普通のおじさんなら許されるのだろうけど、われらが内閣総理大臣となるとそういういい加減さを「魔性」と呼ばずに何と呼べばいいのだろう。
安倍晋三の魔性は、山口県のとある小選挙区でふるいにかけられたときに、素通りしてしまっているのである。そして、あろうことか、全国の小選挙区で素通りしてきてしまった魔性を持った自民党の議員と自民党員たちによって、党の総裁に選ばれてしまったのである。
魔性を持った党総裁が、魔性を持った議員たちに選ばれ、内閣総理大臣になってしまったのである。
そしてあろうことか、その魔性がそのまま任期を迎えるのではなく、とんでもない悪法を産み出してしまったのである。この事実の一番不幸なことは、かつてのナチスとヒトラーの話ではなく、今現在の日本国の安倍晋三と自由民主党の話であることなのである(金魚のフンのような与党がそのほか少し存在)。
どこかで一度政治家をガラガラポンして、線引きをするなら今であると思う。線引きの基準は、いまなら稀代の悪法「安保法」である。がんばれ野党。