遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「我が軍によるクーデター」にさも似たり

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Nemesis 脱被曝 ?@zodiac0088  
「憲政に対するクーデター」とか書かれちゃったよ、イギリスの新聞に
  David McNeill@DavidMcNeill3
  Japan protests after Abe's "constitutional coup d'etat" 
  - my piece in The Independent

toriiyoshiki @toriiyoshiki 
安倍さんが怖いと思うのは、その言動に政治家としての信念があまり感じられないことである。むしろある種のルサンチマンや、その反動である認められたい、歴史に名を残したいという願望、さらには祖父である岸信介への憧憬など個人的な情動が見え隠れしている。従って論理で動いているのではない。
ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。

ア・ピース・オブ・警句「安保はまだ難しかったかい?」小田嶋 隆
 (日経ビジネス2015年7月17日より抜粋)

石破さんは、国民の理解が進んでいない(っていうか、支持されていない)法案を強行採決することについて、逡巡する態度を見せている。

 一方、安倍さんは、自分たちが単独採決せんとしている法案に国民の理解が進んでいない(まあ、支持されていないわけです)ことを認めながらも、信念を持って前に進む決意を語っている。

 石破さんは、迷い、躊躇し、逡巡し、ブレていて、様子見をし、空気を読み、つまるところ迷っている。
 対照的に、安倍さんは、信念を持って自分の思うところを語り、自己の政策と信条を確信し、迷うことなく、ブレることなく、まっすぐに目標に向かって進む意思を示している。

 安倍さんは、おそらく、次の選挙を恐れていない。
 どう転んだところで落選の心配はあり得ないし、そもそも首相を引退した後に議員を続けるかどうかもわからない。

 安倍さん以外の、自民党の多くの政治家は、次の選挙を恐れている。
 世論の反発を恐れてもいれば、評判の悪い法案を強行採決したことの反作用におびえてもいる。

 だから彼らはブレるかもしれない。ビビったり、ブレたり、迷ったり、立ち止まったりすることは、普通に考えればみっともないことだ。

 が、ビビり、ブレ、迷い、立ち止まるからこそ、政治家は民意を反映することができる。そういう面もあるということを忘れてはならない。

 ビビらずブレず迷わず立ち止まらない政治家を、私は信用することができない。 というよりも、そういう政治家ははっきりいってこわい。


どなたかのツイートや小田島隆日経ビジネスのコラムを読んで、やはりこの安保法案は法政化を阻止することはできないことを実感する。
誰が何と言っても、安倍がそうしたいのだから止めるわけにはいかないことになっている。クーデターだと海外で報じられているのだから。

石破も迷い躊躇しているのと同じく、岸田外相や中谷防衛相も同じだと思う。中谷にいたっては、憲法改正以外に集団的自衛権の行使はありえないと思っていたのに、こんなことになってしまって、といったおどおど顔で答弁しているように見える。また、(準レギュラーの)太田国交相が特別委員会に出席していたのを見たが、彼の安倍首相答弁を見る顔つきが「オー・マイ・ゴッド」に近い感情を見てとった。

私はずっと同じことを言い続けているのだが、誰かが安倍を止めないことには大変なことになる。今すぐ止めるには、自民党公明党と彼らを支持する良心以外に考えられない。
もう少し長いスパンで考えると、野党と彼らを支えつある良心(次の選挙での投票)がなんとかするであろう。

極端に言えば、与党のトップに登りつめた一人の男の極端に偏った深い「思い入れ」で、この素晴らしい日本国が、ある意味で世界の標的になろうとしているのである。どこかで聞いたことのある話だ。

でも、ようやくだけど、少しずつそのことに国民が気付き始めている。寝た子を起こしたのも安倍首相であることに間違いはない。それはそれで、まあ悪くはない。(おそらく)まだ遅くないし、これから先が楽しみだ。