遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

自画像/三岸節子

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人間の情熱の量などたかが知れたものだが、
ときに巨大な量を持ってうまれざるをえなかった人がいる。
三岸節子がそうである。   司馬遼太郎

今日は土曜日なのに、姫路まで仕事で出かける。
目的地までの電車の中、出がけにトートバッグにほうり込んだ週刊誌の特集が目に留まる。
司馬遼太郎三岸節子への思いが特集されていたのだ。

壁に飾る絵を捜しているとき、5・6年前のこと、三岸節子に出会った。
印刷かシルクスクリーンだったか、モダンなおしゃれな絵を、
ネット画廊(オークションだったかもしれない)で見つけた。
それが三岸節子の作品であった。

手に入れられなかったのだが、元の作品はバラの切花を描いた重厚な油絵だったと記憶する。
レプリカやポスターでもいいので、こんな絵がほしいと思った作品だった。
三岸節子の名前も記憶に残った。

夫の三岸好太郎は31歳で夭折した。
「節子、おれが死んだら、恋をしろよ。恋をしなきゃ、いい絵はかけないぞ」
節子は1999年94歳で亡くなるまで、いい絵を描き続けた。

今日、週刊誌ではじめて見たのが「自画像」だった。
昭和初年1925年の作品で、二十歳の自画像である。

鏡に映ったまま着物の合わせは左前になっているが、
そんなことなどお構いもなく、才能の大きさが感じ取れるおおらかな二十歳の女が居る。

彼女の生まれた愛知県は一宮の「三岸節子記念美術館」でこの自画像と会える。
また行くべきところがひとつ増えた。