「お父ちゃん、明日はご飯を食べられる?」―昭和35年、10歳の著者は父と共に東京・池袋でホームレスとして暮らしていた。健気に生きる少女を支えてくれたのは、貧しくも心優しい人々だった。40年以上も胸に秘めてきた、つらく悲しい記憶を辿る著者の心の旅。生きる人すべてを勇気づける児童作家の自叙伝。
昭和35年(1960年)、10歳の早苗(著者の上条さなえ、表紙左の女の子)は、
借金取りから逃れるために、一家で逃避行の旅に出る。
はじめは母方の九十九里浜の親戚に、母と異父姉と別れひとりぽっちで預けられる。
その後、父親に引き取られ、池袋界隈のどや街で1泊100円の宿泊施設に父親と、
寝泊りする生活を続けることを余儀なくされる。
九十九里浜にいた頃、親戚の家に飼われているにわとりが、
毎日卵を産むのを目にした早苗は、卵を食べたくて仕方がなかったという。
預けられていた親戚の家業は養鰻だったので、鰻は毎日のように食べられたのに、
卵を食べることを夢にまで見るのである。
私もほぼ同世代で、当時は貧しい家庭の小学1年生だったが、
卵はハレの日以外にはめったに口に出来なかったし、
鰻なぞ食べることはおろか、ただ川や沼に泳いでいる生き物だという認識しかなかった。
池袋周辺のどや街にいた早苗は、仕事に出た父を待つのに、
映画館をえらび、何度も映画館にもぐりこんで、一日中映画を観て過ごした。
あの飲み物おいしそうだなぁ、大人になれば飲んでみたいと思う。
生きるのに疲れた父親は、宿泊所に寝転んで、
早苗死のうか、とぽつりと言う。
「やだ。まだ、マティニーを飲んでないもん」と早苗は返す。
戦時中の国民生活に比べれば、早苗のホームレス生活はたいしたことでもないのかもしれない。
マティーニを体験していないのに死ねないと父に返す言葉には、明るささえ感じる。
どこはかとなく作品の全体を流れる明るい雰囲気や、
「うらみつらみ」を向ける対象の人間は一人も登場しないことで、
この「10歳の放浪記」は、息苦しさから読み手を救ってくれるのである。
しかし、著者は10歳の自分を客観的に見つめるのに、40年以上の歳月を必要としたのだろうか。
だとすれば、想像を絶する力強い生き方をしいられた人生だったのかもしれない。
そして、早苗を励ましてくれた周辺の人たち、
親戚のお兄ちゃんや散髪屋の女店員やパチンコ屋にたむろする若い二人のヤクザや、
幼い同級生たちのやさしい想い出が、早苗のこれまでを力強く支えてくれたのかもしれない。
オードリー・ヘップバーンのようにきれいな大人になって恋をし、
卵やマティーニを口にできる「夢」をかなえるために、力強く生きてきたのかもしれない。
大変な境遇の彼女に暖かかった人たちのことを思い、
彼女の「夢」に勝手な想像力をはたらかせると、目頭が熱くなってきて仕方がないのである。