遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

堆塵館 (たいじんかん)/エドワード・ケアリー

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堆塵館 (アイアマンガー三部作1) 
エドワード・ケアリー (著), 古屋 美登里 (翻訳) 東京創元社

何かの書評で見た「穢れの町 (アイアマンガー三部作2)」が面白そうだったので、同じシリーズの第一弾から読むことにした。
それが本書「堆塵館(たいじんかん)」。著者エドワード・ケアリーは、1970年英国生まれ。

あらすじ
十九世紀後半、ロンドンの外れに巨大なごみ捨て場があった。幾重にも重なる山のその中心には『堆塵館』という、ロンドンの不用なごみの寄せ集めでできた巨大な屋敷があり、ごみから財を築いたアイアマンガー一族が住んでいた。一族の者は、生まれると必ず「誕生の品」を与えられ、その品を一生涯肌身離さず持っていなければならなかった。十五歳のクロッド・アイアマンガーは誕生の品の声を聞くことができる一風変わった少年だった。
一方、十六歳の孤児のルーシー・ペナントは、召使いとして堆塵館に入り、館の風変わりな伝統と習慣を教えられ、暖炉掃除係として働くことになる。そしてある夜クロッドと出会ったことで、一族の運命が大きく変わっていく……。


表紙に描かれた不気味な少年が、この不気味な物語の主人公のクロッド・アイアマンガーである。彼の「誕生の品」は、右手に乗っている「浴槽の栓」で、彼の後ろの館がこの物語の舞台となる堆塵館である。

この表紙を描いたのは、画家志望だった著者のエドワード・ケアリーで、本書の各章ごとに登場するアイアマンガー一族の肖像画と誕生の品も、すべて彼が描いている。また、表紙裏には地上7階地下6階の堆塵館の内部見取り図も描かれている。

筆者自らが描いた登場人物や大きな館が具体的に挿絵で示されていて、想像力に乏しい私のような読者にとっては、とてもありがたいつくりになっている。

本書は10代の少年少女に向けて書かれた物語なのだが、多くの挿絵の親切さや漢字のルビなどにその片鱗がうかがえる。ただし、おそらく本作をおもに楽しんでいるのは受験勉強などから解放された大人であろうことは容易に想像できる。お勉強に忙しい10代の諸君が3000円もする427頁のハードカバーの翻訳本を読むとは到底思えないからだ。

堆塵館に住むアイアマンガーという耳慣れない名字の一族の物語は、その登場人物の名前や容姿の奇妙さに不思議な思いをいだく。また、若いころからファンタジックな映画作品を数多く見てきて、数多くはないが英国文学を読んできた私は、この小説に既視感を覚えた。

訳者のあとがきには、「本作はチャールズ・ディケンズシェイクスピアの影響も見て取れるし、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』へのオマージュのような箇所もある」と書いている。加えて私は、コナン・ドイルの「バスカヴィル家の犬」、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」のような、低い空の下の荒野の物語を想起した。また映画で見ただけだが、トールキンの「指輪物語」のドロドロ感も思い起こした。

黒澤明の「どですかでん」や「どん底」にもどこか似ている。

そして、堆塵館と呼ばれる巨大なお屋敷は、「千と千尋の神隠し」に登場する「道後温泉本館」がモデルの巨大な湯屋となぜかオーバーラップする。あの建屋では、いろんな人間や動物や妖怪が湯に浸かっていたが、堆塵館ではアイアマンガー一族郎党がみなゴミにまみれるのだった。エドワード・ケアリーにだれか聞いてみてほしい、「千と千尋の神隠し」は見たか?好きか?と。

今は本作を読み終わったばかりで、まだ次作「穢れの町」を読む気分ではないが、本作の終わり方は「つづく…」という余韻を残している。次作はどうなるのだろうか気になる読者の一人になってしまった私。

幸いにも、まだわが町の図書館の蔵書ラインナップには並んでいなかった。図書館が購入してくれてから、読むべきなのか自問してみようと思う。