来し方を振り返れば、就職が大きな節目だったと思う、
もう30年以上前のことだけど。
結婚だとか親になったこと以上に、
就職したことが私にとっては強い大きな節目だった。
学生のうちは、社会全体に育ててもらっていたような、
何をしても少しは多めに見てもらっていたような気がする。
本日、長女が社会人としてデビューした、おめでたい。
就職がめでたいのは、自立できるための修行の場所が見つかったということで、
だから、おめでたいのである。
不安は波のように寄せるのだろうが、その心境もまた新鮮でいいものだ。
そもそも、仕事を完璧にこなせなることなんてないし、
一見うまくいった事も、なにか足らなかったり、どこか至らなかったところがある、
それを見つけたりすることが、楽しいのだと思う。
足らないことを見つけ、それを何とかしようとすることが、
とても大切なことで、仕事に退屈しない理由もそこにあるのだと思われる。
自立して立派な人間になれるのも、そういうキリッとした過程を通してのこと。
それと、音楽や映画を楽しみ、本を読んだり旅に出かけることも、
仕事と同じくらい大切なことである。
オフの充実と、仕事の充実、そのどちらが欠けてもキラッとしたいい社会人にはなれない。
いま東日本の被災地では、さまざまな人たちが助け合って強く生きていこうとしている。
一生懸命生きている人を見て美しいと思わなければ、美しい人にはなれない。
キリッと生きてキラッと輝くカッコいい社会人になろう。
てな意味のことを(もっと長い文章だったけど)、
長女にしたためた、4月1日であった。
まったく同じことを、来年の4月1日に次女にもしたためたい。