遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

キューポラのある街/浦山桐郎

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公開 1962年4月8日
上映時間 99分


吉永小百合の思い出の日本映画で、自身の作品の中でチョイスした「キューポラのある街」を鑑賞。

公開は1962年(昭和37年)、中学3年生を演じる吉永小百合は高校1年生の12月にこの作品の撮影に入ったという。
舞台は、鋳物工場の屋根にキューポラが立つ街、埼玉県は川口市。その街で鋳物工場に勤める父親東野英治郎一家の物語。その貧しい家の長女が吉永演じる中学生ジュンで、彼女を筆頭に4人の子持ちの一家を、合理化・合併・首切りの波が襲う。

成績の良いジュンは進学校である高校受験のために、朝鮮人のヨシエの紹介でパチンコ店でアルバイトを始める。(ジュンとヨシエは、制服のセーラー服を着ていない、数少ない生徒として描かれている。)月3000円のアルバイト料を3か月貯めれば入学費用が賄えるからと、ジュンは家族や学校に内緒でバイトに励む。入学するはずの高校へ一人で出かけて行き、憧れの女子高校生を校庭のフェンス越しに見学する。しかし、厄災が次々と貧しい一家に訪れる。

「貧困と無知」を絵に描いたような父親は、首を斬られても酒を飲んでやさぐれるだけで、鋳物工場の若者(浜田光夫)の助言や、ジュンの友達の父親の再就職への援助を反故にする。労働組合を理由もなく嫌い、朝鮮人を理由もなく差別する。そんな父親に見切りをつけた母親は、背に腹は代えられないと、家族に内緒で水商売のアルバイトを始める。

私は、この作品の東野英治郎一家で言えば、吉永と市川好郎の弟(二男の少年)くらいの年代で、高度成長期時代までの貧しい時代を知っている最後の世代に当たる。作品で次々に一家に訪れる厄災のようなものはあまり経験しなかったが、それでも貧しさについては理解できる実体験を持つ。
この作品を語る吉永小百合は、自分も貧しい家に育ったので、年齢も境遇も主人公ジュンは等身大の自分だったと語る。

浦山桐郎監督と共同脚本を書いた今村昌平は、当時ともに20代。日活は若いスタッフによくこの作品を任せたなと感心するが、名作に仕上げた浦山にも感心する。優れた作家であることを、このデビュー作だけで世間を納得させたと思う。格差、貧困、合理化、邂逅、惜別、友情、互助、再生、自立などの言葉で表象される社会をベースにした等身大の人や街を、観客の目の前のスクリーンに鏡のように再現させた。

映画の最後にジュンは、両親の前で自立することを宣言する。中学3年生にしては立派過ぎる宣誓だが、「貧困と無知から抜け出して私は幸せになる」というテーマは普遍性のある力強い言葉だ。いまだに人類のテーマであることに変わりはない。また、当時の吉永小百合の宣誓の言葉だったのかもしれない。

「鏡」を見て、人々は自分の姿に驚いただろうと容易に想像できる。いい作品だった。