遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

バラード/ジョン・コルトレーン

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パーソネル
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
(7.のみベースはレジー・ワークマン)

1. セイ・イット
2. ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
3. トゥー・ヤング・トゥ・ゴー・ステディ
4. オール・オア・ナッシング・アット・オール
5. アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
6. ホワッツ・ニュー
7. イッツ・イージー・トゥ・リメンバー
8. ナンシー

リリース 1962年
録音 1961年12月21日 - 1962年11月13日


「1. セイ・イット」から「5. アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」までの名演奏は、

くしくも1962年の今日、11月13日に録音されている。


コルトレーンがこんなにバリバリ吹くようになったから、

ぼくはジャズ評論家を辞めたんだと言った大橋巨泉

そのきっかけとなった演奏が「ジャイアント・ステップス」というアルバム。

1959年録音のその「ジャイアント・ステップス」や、
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/5463281.html

1961年のライブ演奏「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」の
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/19081395.html

コルトレーンの演奏とはまったく趣の異なったこのアルバム「バラード」。


冒頭「1. セイ・イット」のジョン・コルトレーンのテナーサックスの第一音で、

瞬く間に聴くものの心を奪ってしまう。

私はどちらかというと、バリバリ「怒れるテナー」をブローするコルトレーンを、

20歳の頃から愛してきたが、人生のたそがれを迎える準備も出来たいま、

彼とその仲間の叙情的な調べも悪くないと思う。

コルトレーンの演奏は全曲に渡って、

実に歌心のあるまごころのこもった演奏で、彼の真摯な調べに平伏してしまう。

マッコイ・タイナーとジミー・ギャリソンとエルヴィン・ジョーンズは、

コルトレーンが吹かない行間を、ピアノトリオでリリカルに埋めてくれる。

そのわずかな時間の「行間」のプレイでも、このトリオの確かな実力が伝わってくる。


48年前の今日11月13日に、彼ら4人は、

録音前に立ち寄ったミュージックストアでこのアルバムに収められた1~5曲目の楽譜を買い、

自分たちの使うコード進行を打ち合わせて、30分ほどリハーサルをして、

テンポ合わせが難しかった「4. オール・オア・ナッシング・アット・オール」を除き、

驚くことに、録音はワン・テイクで終了させたという。

それまでに一度も演奏したことのない曲を、そのように録音したこの4人の技量は、

筆舌に尽くしがたく、コルトレーン・カルテットとして永久に不滅なのである。


コルトレーンを聴くのに、この「バラード」から入ってしまうと、

彼はサム・テイラーのようなミュージシャンだと勘違いする不幸な人を作り出すので、

マイルスのオリジナル・クインテット時代や、

ジャイアント・ステップやヴィレッジ・ヴァンガードコルトレーンを聴きこんでから、

このアルバムに至ってほしいと願うばかりである。

そうすると、幸せな人もそうでない人も、

この「バラード」に胸いっぱいになって涙すること請け合いなのである。

 僕はためしにジョン・コルトレーンの「バラード」のテープをかけてみたが、彼女はとくに文句は言わなかった。何が鳴っているのか気づきもしないようだった。僕はコルトレーンのソロにあわせて小さな声でハミングしながら車を走らせた。
「ダンス・ダンス・ダンス」/村上春樹