遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

阪急電車/有川浩

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 阪急電車    有川 浩   (幻冬舎文庫)

電車で、空いていた座席に座ったばっかりに…という我が体験。


JRの車両連結部分近くの3人掛け座席、腰掛けるまでは気付かなかったのだが

向かいの座席には、広域で暴れておられる団体構成員が二人。

私も若かったが彼らも若くて、スーツ姿の方の襟元には、その団体金バッジが輝いていた。

道理で席が空いていたはずだ。

怖いもの見たさで興味深々だったのだが、ご機嫌を損ねてはまずいのでじっと読書をしていた。


結婚前、奥さんと神戸まで遊びに行っての帰りの阪急電車

休日の夕方、梅田方面行きの電車は混んでいたのだが空いた席があり私だけ座る。

ところが私の左に座るおじさんがすごい人で、

どうやら私が乗り込む前から、口先で相当暴れていたようで、

2m以内に立っている客はいなかったし、座っている客は狸寝入りをしている風情。

ちょうど私が座った前後から、そのおじさんは、反対側座席に座っている若い男性に、

集中砲火を浴びせているところだったようだ。

自分には何も怖いものがない、○○組(広域で暴れておられる団体)だって怖くない、

だから、オレを舐めるなと、その若者に、それはそれはどえらい剣幕でまくし立てるのである。

で、次は私の番。

なぜか、おじさんの持つタブロイド新聞に「チョウザメ」特集が、

で、私に「兄さん!チョウザメて知っとる?何このサメ?」

てなことを尋ねてくれるのである。

カスピ海だけに棲むキャビアを抱いたサメですやん」てなことは言わずに、

さぁ???と首をひねって苦笑いをしていた。

カスピ海キャビア?てなことで、話が膨らんではまずいと、

その場に腰掛けたままで、首をかしげて会話を途切れさせるという作戦で敵前逃亡を図った。

幸いにもおじさんはしばらくして到着した「西宮北口」駅で降りてくれた。

1mくらいのところ立っていた奥さんが、おじさんの後にに座る、

「怖かった?」「いや、それより恥ずかしかった。めちゃ注目されてたやろ?」


電車の中で、女性に手を触られたり、胸を押し付けられたり、

降りた駅で女性に声を掛けられたり、そういう「複雑」な体験もしている。


うちの奥さんは、妊婦だったころに、

「席が空いているよ」と親切なおじさんが離れた席から遠征してくれたり、

駅でタクシーを待っていると、順番を変わってくれる初老の夫婦がいたり、

次女にいたっては、東京駅で、階段から降りてきたお兄さんが、「ぼく運びますっ」と、

重い荷物を持って階段の上まで運んでくれたりという経験もしている。


人が行きかう駅や電車では、いろんなドラマが生まれてくる。


有川浩(ひろ)の「阪急電車」、単行本が出たころ、著者は男で、鉄道の本だと思っていた。

うちの次女が友人から借りたらしく、その文庫本を先だって居間のテーブルで見つけて、

最後まで読んでしまった。

兵庫県の最も大阪寄りを南北に走る、阪急電車今津線を往復する電車での物語で、

作品では始発が「宝塚」で、終点が「西宮北口」である。

電車に乗り合わせた、主に女性たちの電車での出会いや出来事と、

彼女たちの暮らし方とその心象風景が描かれた作品である。


興味深い女性たちが沿線の駅の数だけ登場し、彼女たちは同じ電車に乗り合わせ、

少なからず彼女たちは電車内や駅での絡みがあって、

短編小説が数珠繋ぎになっていて、ひとつの作品に仕上がっている。

数珠繋ぎに話が連なっていくという創作はともかくも、

描かれている個々のエピソードが、有りそうで無さそうで、物足りない。

物語の電車は、西宮北口で折り返してまた宝塚に戻るのだが、

往路のエピソードを、倍くらいに膨らませたら、復路は不要で同じ分量の物語が出来たのにと、

登場する女性たちが面白そうだっただけに残念だった。


表紙の小豆色の阪急電車、子どもの頃から遊びや通学や通勤で断続的に利用してきた私としては、

懐かしさが匂い立つ嬉しい表紙なのである。