遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

野茂英雄

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野茂英雄レッドソックスに移籍し、最初に登板した試合で、

自身2度目のノーヒット・ノーランを記録した。

最後の打者は、奇しくもデシールズであった。



このデシールズという名前は、別の意味で忘れることができない。

1995年、野茂がMLBで初勝利をしたとき、

試合にピリオドを打つセカンドゴロをさばいたのが、

当時ロスアンジェルスにいたデシールズであったからである。


あのシーンは、今も脳裏に焼きついている。

すでにマウンドを降り、ベンチで戦況を見守っていた野茂は、

勝利を目前に「心臓バクバクだろう」とチームメイトに冷やかされていた。

私も同じくらいドキドキしていた。


あの瞬間から、日本人のMLBの歴史が始ったといえる。



ドジャースと同一地区のサンフランシスコ・ジャイアンツの主砲は、

当時すでにスーパースターの、バリー・ボンズであった。

1995年のボンズは、野茂にきりきり舞いをさせられ、

ヒットはシングルの1本のみで4三振。

数字が物語る以上に、ボンズは完膚なきまで叩きのめされた感があった。


その後のボンズは、バットの振りが速くコンパクトになり、

ホームランを量産していった。

良いピッチャーの存在が、バッターを進化させる。

野茂とボンズの関係は、その典型的な例だと思う。



野茂の、マウンドでの一途な姿勢は、見る者に深く感動を与えた。

そんな彼に出会えたこと、私は胸のすく思いであった。


ありがとうやお疲れさまと言うのが、残念でならない野茂の引退である。