遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

小さき者へ/有島武郎

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お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――



小さき者へ」の冒頭部である。

お前たち、とは有島の子ども達への呼びかけの言葉である。




私の高校時代の国語教師は、なんだか嫌味な男で好きではなかったが、

その教師に、有島武郎の息子が森雅之だと教えられた。

「文士はぶ男が多いが、有島は例外で森雅之がそれをあらわしている」、

といったようなことを教師が言ったのを覚えている。

当時の大人はみなそのことを知っていたのだろうかと思う。




溝口健二の「雨月物語」(上田秋成)、「武蔵野夫人」(大岡昇平)、

成瀬巳喜男の「浮雲」(林芙美子)など、

我が国を代表する名作文芸映画、

それに出演している名優が森雅之である。

上の画像、岩波文庫の表紙の3人兄弟の右端の長男が彼である。



掛布雅之の父親は森雅之のファンで、

息子にその名前をつけたというエピソードも、

掛布ファンの私には忘れられない。




3人の幼い兄弟を残して逝ってしまった妻。

有島は、小さき子ども達への両親の愛が如何ばかりだったか、

殊に亡くなった母親の偉大な愛を、子ども達に残している。


反面、思うように仕事がはかどらないために、

妻や子どもに思いが至らなかった自分の来し方を、

短く深く記している。


そして、母親のいなくなった後の子ども達の様子を写し、

「不幸なものたちよ」と彼らに呼びかける。

何度読んでも胸を打たれ涙が滲む。



究極の私小説である、

再生への宣誓書でもある。


有島はその後、「或る女」などの代表作を発表し、

さらに「一房の葡萄」などの優れた児童文学をあらわしたが、

それらも子ども達に遺したものなのかもしれない。



小さき者へ」から5年後、45歳で有島は自ら命を絶った。

この作品を遺していなければ、

彼は自殺を思いとどまったのではないだろうかと思う。

この作品の最後の2行を懐に、

3兄弟は前途多難な大河を渡っていったのだろうかと思う。


前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。

 行け。勇んで。小さき者よ。