遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

古寺巡礼/土門拳

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古寺巡礼  土門拳(著)  第一アートセンター 価格: ¥9,975




2月後半から、「お水取り」東大寺二月堂修二会(しゅにえ)の行事が始まり、

3月12日からの二月堂での「おたいまつ」のクライマックスが終わると、

関西では春がおとずれるとされている。

今年は、遅い春になりそうだが。


土門拳の「古寺巡礼」は、奈良と京都の古刹を中心に、

独特の切り口で遺された、力のみなぎる写真集である。




法隆寺中門の柱は中ほどで少しふくらんでいる。

そのふくらみ(エンタシス)の起源がギリシャ神話にさかのぼる」


私は法隆寺には2度訪れただけである。

1度目は、小学校の遠足で。


その際に、先生かガイドさんからか、エンタシスの話を聞いている。

中門の柱のふくらみは、なるほどまるでエンタシスのようである。

しかし、ギリシャとは繋がりがないというのが、現在の定説だそうだ。



東大寺興福寺界隈こそ数え切れないほど行っているが、法隆寺になると2度だし、

唐招提寺は1度だけ、薬師寺室生寺(画像の表紙はその五重塔)には行ったことがない。

私は、畿内に住んでいる価値がない男である。



柴門ふみは、奈良の聖林寺、国宝「十一面観音」に頻繁に会いにくるのだそうな。

私はTVでそう語っている柴門ふみを見るまで、

聖林寺も国宝「十一面観音」も知らなかった。





土門拳の「古寺巡礼」、

私は1989年に小学館から発行されたもの(現在は1冊2500円)を、

持っているが、画像の書籍は近年発行されたもので1万円近くする。


小学館から文庫で出ている「土門拳 古寺を訪ねて」というシリーズが、

880円とお安くてお奨めである。




土門は木村伊兵衛とともに、わが国を代表する写真家の双璧であり、

1981年に「土門拳賞」が、1975年に「木村伊兵衛賞」が制定されている。

木村伊兵衛賞」が写真界の芥川賞と呼ばれて久しいが、

ならば「土門拳賞」は、さしずめ「泉鏡花賞山本周五郎賞」といったところである。


主な「土門拳賞」受賞者→十文字美信、須田一政本橋成一大石芳野




晩年は、車椅子で撮影をしている姿をメディアでしばしば見かけた。

大判カメラを、助手がすべてセッティングし、

土門はアングルを決めシャッターを切るだけの撮影であった。



土門が広く世に認められたのは、「筑豊のこどもたち」であろう。

閉山間もない炭鉱と、炭鉱労働者の家族を淡々と描写した、悲しい時代の記録である。

後に続く平和な時代の写真家は、商業写真に走り、名声を勝ち得た。

それもまた良し。



一連の古寺の写真は、土門が昭和15年から40年間も撮り続けた一連の作品群である。

筑豊にどっぷり浸かっていた前後も、途切れることなく古刹を訪れていた。


名刹や古刹は、日本の芸術文化の集大成のようなところがある。

建築、彫刻、絵画、書、造園、漆芸、截金(きりかね)、石彫、彫金、染色、織物などなど。

私のようなぼんやりした訪問者でも、深くて清らかな伝統の技に出会えることが、

愉しみなのである。

それは、性別や年齢や国籍に関係なく、愉しめることであると思う。


しかし、肉眼で見たものと写真で切り取られたものは、まったく異質であると

土門も言っているし、彼の写真を見て、

自分は何を見てきたのだろうと、思わずにはいられない。



この写真集で、土門の眼を通して見る、

古寺の佇まいと、仏像たちの救いの微笑が、

感じられる。


次の機会の法隆寺は、心の目で確り拝観することにする。