1955年、木村伊兵衛は、まだ一般的ではなかった国産のカラーフィルム50本を託されパリに飛んだ。
そのフィルムは、富士フイルムから1948年に発売されてはいたカラーフィルムで、
感度はASA10(今の表示ではISO10)で、多くの光を必要とする低感度フィルムである。
後世の我々は100や400の感度のものを一般的に使用していたから、感度は相当低い。
そのフィルムは、富士フイルムから1948年に発売されてはいたカラーフィルムで、
感度はASA10(今の表示ではISO10)で、多くの光を必要とする低感度フィルムである。
後世の我々は100や400の感度のものを一般的に使用していたから、感度は相当低い。
その国産カラーフィルムの特性を試すべく、アフリカからヨーロッパをめぐったそうで、
なかでも木村伊兵衛のお気に入りはパリだったという。
その仕事は朝日新聞社から今も出版されている「木村伊兵衛のパリ」に詳しい。
なかでも木村伊兵衛のお気に入りはパリだったという。
その仕事は朝日新聞社から今も出版されている「木村伊兵衛のパリ」に詳しい。
パリの撮影をお膳立てしてくれたのは、旧知のアンリ=カルティエ・ブレッソンと、
ロベール・ドアノー(現在、東京都写真美術館で「生誕100年記念写真展」開催中)のふたり。
木村は嬉々としてパリの街を撮影したようだ。
「日曜美術館」でそんなエピソードや木村の作品の多くを伝えてくれていた。
ロベール・ドアノー(現在、東京都写真美術館で「生誕100年記念写真展」開催中)のふたり。
木村は嬉々としてパリの街を撮影したようだ。
「日曜美術館」でそんなエピソードや木村の作品の多くを伝えてくれていた。
上記画像は、その番組より天然色のパリ4枚。テレビの画面を撮影したものである。
柔らかな発色と、商業ポスターのように日常のパリを切り取った名品である。
柔らかな発色と、商業ポスターのように日常のパリを切り取った名品である。