狭いトンネル状のMRIに頭から入っていく。
初めて聞く不快な機械音が鳴る窮屈なトンネルの中で、20分程「脳」の検査。
不快と不安なMRI検査の始まりだったが、いつの間にか私は眠っていた。
ま、結果には異常がなかったMRI検査のようなものである。
未体験の文体とモチーフから、不快と不安に、読み始めてすぐに襲撃されるが、
いつの間にかそれにもなじんできて、自分の感性を試してみたくなる、最後の頁まで。
私の中上初体験は、芥川賞をとった「岬」である。
文芸春秋を買って全文を読んだ。
それはいつのことか調べたら、なんと1975年であった。
私はまだ働き始めていなかったのである。
私は、中上のほうが村上より後で受賞したと思っていた。
例によって内容は良く憶えていないが、「岬」を読んで衝撃を受けた。
選考委員は誰だったのか、よく選んだものである。
現在の選考委員の慎ちゃんや輝ちゃんは、この作品を押しただろうか。
その後、1977年の毎日出版文化賞を受賞した直後に、
「枯木灘」を購入した、感動した。
真ん中に位置する作品である。
同じく、中上の生まれた和歌山の新宮にも行ったことがないが、
大瀬も新宮も、私の中に心象風景として永遠に残ると思っている。
関西ネイティブの私にも、新宮の地元言葉には直ぐには馴染めない。
しかし、読み手の躊躇いなどお構いなしに中上の筆はドライブしていく。
このバスは、降りるところは最後までない。
奇麗事やお気楽話はまったくない、乗り心地は良くない。
J・エルロイほどの登場人物は多くない。
しかし、登場人物たちの烈しい営みが、畳み込むように読み手を襲う。
等身大とはいわないまでも、自分の物語を読むようなものである。
私は、高校生のときに読んだ匿名作家たちの「カストリ小説」以来の、
力強さと手ごたえを体感していた。
1992年に46歳で、中上は亡くなった。
彼は、マイルスを「デビス」と呼んだ、
その声も、私の脳裏にいまだに残っている。
「すばる」2003年7月号「座談会 昭和文学史」より
島田雅彦は、日本文学の系譜を、太宰治─三島由紀夫─大江健三郎─中上健次、とラインを引いていた。
評価の高い初期・中期作品よりも、日本の崩壊をナイーブに予見し、読者に違和感を持たせるほどに作風を変えた晩年の作品『異族』『讃歌』等にむしろひかれる、とも語る。
高橋源一郎は、中上作品の中に、私小説、物語、古典、天皇制、家族や一族の問題等々、日本文学史が全部入ってしまうことを指摘、中上は、近代文学だけでなく日本語によって書かれた文学的試みをすべて引き受け、文学史の上に立って自分の小説を書いていたと語る。
小森陽一は、『岬』を初めて読んだ時、これまでの日本文学にはなかった、正しい近代小説という印象を受けたという。
井上ひさしは、NHK『プロジェクトX』のナレーションが、『岬』で確立した文体によく似ていると語り、中上作品と映画『男はつらいよ』シリーズの類似点にもふれる。
同時代を生きた中上健次という作家への評価と思いを語り合い、昭和から平成へ、中上が作品の中であげている悲鳴を聞き届けようとする座談会です。