遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

モーツァルトとブルク劇場

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ウィーンをぐるっと回る環状道路を、リンク・シュトラーセという。


リンク沿いには、市立公園をはじめ、国立歌劇場、ホーフブルク宮(王宮)、

ウィーン美術史美術館、
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/5972086.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tosboe51/10048194.html

国会議事堂、ウィーン市庁舎、ブルク劇場、ウィーン大学などが威厳を保って建っている。


ウィーンは、東京のような大都会ではない。


リンクを走る白と赤のチャーミングな路面電車に乗るまでもなく(実はよく乗ったが)、

宿泊していたホテルからリンク沿いにぶらぶら歩いていると、

先に書いたような名所にすぐに出合える。


そのリンクをはさんで、市庁舎の真向かいにあるのが、ブルク劇場である。



私たちと同じく、リンクをぶらぶら歩いているカップルが一組いた。

そのカップルの美しいお嬢さんが、ブルク劇場をバックに写真を撮ってあげましょうと、

急ぎ足でやってきた。

英語で話していたと記憶しているので旅行者なのか、

しかしカメラも持たずに、外見も心も麗しいお嬢さんであった。

ブルク劇場をバックにした私たちの写真を見るたび、彼女のことを思い出す。



ブルク劇場は、建物自体は1955年に建てられたので、50年ばかりの歴史しかない。

しかし、その名は由緒あるものであり、かつては王宮の中にあった、

王室御用達の劇場であった。


モーツァルトの「フィガロの結婚」は、1786年にブルク劇場が初演であった。

ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491も同じ年に、モーツァルト自身のピアノ演奏で

当劇場で初演されている。



要するに、ウィーン時代にモーツァルトが作曲した曲の初演の多くは、

ブルク劇場なのである。


「まとまったピアノ曲ができましたので、ブルク劇場で演奏会やります。

また、ちょっくら、お借りしますよ。」ってな感じで、

初演の演奏会を頻繁にやっていたのだろうか。



生の演奏でしか音楽を聴けない時代は、想像を絶する。


生きたモーツァルトが自作の新曲を引っさげて、

ウィーンっ子の前で生演奏をする光景は、さらに想像を絶することである。




ブルク劇場は、今は演劇を中心とした上演が主になっている。


しかし、今年はモーツァルト生誕250年を記念する公演の一環として、

旧ブルク劇場にて初演をされた「後宮からの誘拐」を上演するようである。



あぁ、またリンク沿いを歩いてみたくなった。